おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

これがあればここでも無敵 (20世紀少年 第639回)

 第19集の第10話は「最悪の男」。自ら最悪の男と名乗った長髪だが、第11話のタイトル「帰って来た男」ケンヂに、言下に否定されることになる。一方、城外では荒野の7人の侍のうち残りの6人が、ありったけの武器を集めて兵隊を募集中。武器はライフルから草刈り鎌まで多種多様である。ところがスペードの市が檄を飛ばしてもなかなか反応がない。

 市もこの町であこぎな商売に手を染めていたようだから人望がないのも仕方がないかと思いきや、ようやく群集は武器を求めて近寄ってきた。市は「よし」と気合いを入れた後で、漫画家の先生に「あいつの本当の名前」は何ていうんだと尋ねている。氏木氏の「矢吹丈じゃ...」という返事に対し、市はそんなわけねえだろと一言で片づけた。


 氏木氏は漫画家でありながら、「あしたのジョー」を知らなかったらしい。先日、ここ何年かで大流行したという少女アニメとやらの記事を読んだが、十数点ほど挙げられていた作品名を一つも知らなかった。どうやら近ごろの若者の多くは、私と全く違う世界に生きているらしい。これでは「近頃の若い奴は...」と批判しようとしても意味がないな。そう言われた最後の世代として生きるか。

 スペードの市は、城内のケンジに向かって「今行くから待ってろ、渡り鳥の兄ちゃんよ」と声をかけている。映画「ギターを持った渡り鳥」は意外と古くて1959年の作品というから、ケンヂの生まれた年だ。私は「仁義なき戦い」をリアル・タイムでは観ていないので、小林旭の一番古い思い出というと「昔の名前で出ています」になってしまう。

 
 そのころ渡り鳥はサーチライトの薄ぼんやりとした灯りの中に立ち、上半身裸で座ったままの長髪と対峙している。長髪によると話はここからがもっと面白く、彼の「輝かしい人生の第二章」なのだそうだ。この無愛想な客一人を相手に、「時は2000年」と講談師のようなノリの良さ。

 思い出したくもないか?という長髪の挑発にもケンヂは乗らない。やむなく長髪の独演会は続き、まず彼がさらった敷島教授の娘の話。次が血の大みそかの巨大ロボットを自分が作ったという話。そして、「ここからがクライマックス」とは、2015年の万博の年、ずらりと並んだ防毒マスクのセールスマンにスーツケースを渡した話。一人一人挨拶したそうだ。


 ということは、その日、「りりりんとでんわがなって」受話器を取った”ともだち”が、「運が良ければまた会おう」と言った相手は多分この長髪であろう。二人とも運が悪いことになったから、おそらく再会するとしたら地獄の底だな。ひたすら無言のケンヂに「俺は悪だ。最悪だ。」と長髪は述べた。そして正義の味方はかっこ悪いなと言い、銃口をケンヂに向けている。

 同じころ、スペードの市たちは城壁に迫ったが、とうとう関東軍は発砲を始めて犠牲者が出ている。市はひるむな、西側のゲートが開いたと、なかなかの野戦軍司令官振りである。「暴徒」は人海戦術で城に攻め込むのに成功した。手は商売道具だから握手はしないとデューク東郷のようなことを言っていた鍵開けの男が、ブタ箱のカギを見事に開けて囚われの人々を救出した。


 その中に蝶野逃亡警察官もいた。さっそくスペードの市と鉢合わせをし、よくも僕を売り飛ばしやがったなと怒ってみせたものの、市は詫びは言いたいところだが時間がねえと制し、次はお前の相棒を助ける番だと駆けだした。なんせギター一つで乗り込みやがったのだ。蝶野君はここでも「え?」と言ったきり遅れをとっている。

 ケンヂがようやく日本語を話した。第一声は「えっこらせ...と」。人間、五十代になると私の同級生たちも異口同音に言うのだが、足腰が弱り始める。筋肉が激減したというほどではないのだが、バランスが上手く取れなくなって歩いているとき人にぶつかったり、片足立ちで靴下をはくのが面倒になってくる。そして、このような掛け声を一丁かまさないと立ち上がるのもめんどくさくなる。片膝立ててギターを銃のように構えたケンヂがようやく反撃に出る。第二声は「ふー。」であった。




(この稿おわり)




チョーチョ (2013年2月17日、中華料理店にて)




  歳を取るのは うんざりだ 

          「マザーズ・リトル・ヘルパー」 ローリング・ストーンズ


















































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