第19週第4話「漫画家氏木氏の憂鬱」は、出てこい偽造屋と怒鳴りながら玄関の硝子戸を叩くスペードの市と、その傍らに控えるケンヂと将平君の立ち姿から始まる。ガラスの一枚が割れてセロテープでとめてある。これはとても懐かしい景色だ。市は「俺だ、スペードの市だ」と言っているから偽造屋と旧知の間柄らしい。下から読んでも氏木氏か。
しかし、屋内から出て来た本人は「違います」と強く否定し、漫画家の氏木常雄ですと名乗った。お久しぶり。ウジコウジオの丸顔のほうだ(四角顔かな)。将平君は漫画家の氏木という名を、どこかで聞いた覚えがある。第15集の60ページで、カンナに「そういうつまらないジョーク」をウジコウジオがよく言っているとからかわれている。
その将平君だが、ここで初対面の氏木氏に対して「おまえ」とか「こいつ」とか呼んでいるのはいただけない。しかもウジコウジオの二人は会話の交わし方からして、1990年生まれの角田氏と同年代であろう。将平君より年上のはずだ。昔の警察官のように偉そうだ。
戦前戦中の警官が庶民を「おいこら」と呼んだという話を家族などからよく聞いたものだが、一説によると明治初期の警官には薩摩藩出身の下級武士が多く、当時の薩摩の方言で「おいこら」は誰かに話かけるときの普通の言葉だったと聞いたこともあるが真偽のほどは定かでない。
先述のように我が母方の祖父も元警察官で、戦前からの家長ということもあってか、やはり実に偉そうであった。だが別に凶暴でもなく、寡黙で沈毅であった。父方の祖父が豪放磊落であったから、いわば明治男の二大典型の孫であるのに、なぜ私は柔弱なのだろう...。
さて。ケンヂもケンヂで「おまえ、こいつ知ってんのか?」と将平君と同様の言葉遣いで訊いている。将平君は刑事時代、カンナから常盤荘の隣部屋にいたことを聞き知っていたのだ。それを聞いたケンヂは、将平君に続いて、またもカンナの周囲にいた人と会ったことに運命を感じたであろう。これで勢いがついた。
ケンヂはいきなり氏木氏の家に上がりこんで、相変らずベレー帽とジャージ姿の住民を怒らせている。ケンヂは将平君をダシに使って、「こいつ先生のファンなんですよ」とホラ話を始めた。珍しく実に雄弁である。ゆっくり話しながら嘘をつくのは確かに難しい。説得も必要となると、なおさらだ。
ついては、こいつがどうしても会いたいと言うのでと他人のせいにし、見ろ、これが先生のアトリエだ、生原稿だと騒いでる。畳敷きの「アトリエ」には、文房具と原稿が丸い卓袱台に載せてある。お前の好きなマンガはボクシング漫画だったか?とケンヂの饒舌は止まらない。将平君はまたしても「は?」。「あしたのジョー」と「がんばれ元気」が好きだったのは角田氏だったな。
ケンヂの騒がしさに対して氏木氏は、僕の作品で出版されたのはラブコメですと静かに反論している。まだ、”ともだち”による厳しい検閲は続いているらしい。「ラブコメ、それだ。胸がキュンときたよねー。サイン、もらっとけ、サイン」とケンヂは調子が良い。外ではスペードの市が、まんまと上がりこみやがったと苦笑いをしている。
そのときサイレンが鳴り響いて、市によれば手入れ、すなわち「関東軍の査察」らしい。市はお尋ね者の将平君に向かって、「俺に付いてきな」と言い、強引に腕を引っ張りながら連れ去った。ケンヂは「サインは俺がもらっといてやる」と親切であり、「あとで俺が迎えに行くからよ」と約束した。のちにケンヂはその約束を守っている。
最後に余談だが、この第4話のタイトル「漫画家氏木氏の憂鬱」について、私は遠い昔に「〇〇氏の憂鬱」という本か映画をみたような覚えがあるのだが、どうしても正式名を思い出せない。ネットで探しても出てこない。ハルヒとやらではなくて、もっとずっと昔だ。
われわれアナログ世代がこの世を去るころ、インターネット時代以前の事物は、よほど有名なものか、よほどマニアックなものしか残らないかもしれない。実家にある大量のLPレコードもプレーヤーがないし、このままいつか処分されてしまうのか。正月に帰省したら「ポール・モーリア」のベスト・アルバムがあった。何がエーゲ海の真珠だ。
(この稿おわり)
この冬、東京は寒いといっても花は咲く。 (2013年1月31日撮影)
学校で何を習ったの 司愛いいおチビちゃん
学校で何を習ったの 可愛いいおチビちゃん
お巡りさんは僕のともだちで 正義は決してほろびはしない
殺人した人 罪で死ぬ 時々まちがいはあるけれと
学校で今日習ったよ そういうふうに習ったよ
「学校で何を習ったの」 高石ともや
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