おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

反確率論 (20世紀少年 第616回)

 将平君の鉄郎姿の絵に続いて、スペードの市とケンヂの会話が始まる。市は偽造手形でヤバい橋を渡るよりも、もっと安全に関東に脱出する方法を知っているとケンヂたちを勧誘しようと試みた。ケンヂの反応は「脱関東斡旋屋か」というそっけないものだったが、市もさるもの、勝手に何とでも呼んでくれと軽く受け流している。

 スペードによると、この3年間でただ一人を除き、3000人が偽造手形の関所越えに失敗して撃ち殺されているという。これまで手形に期待をよせていた将平君は「ひ」とひるんでいる。前出の墓堀人夫のおじいさんは、ずっと一人で働いてきたとすると、単純平均で一日3人ほどのご遺体を埋葬していたのだ。


 ケンヂはスペードの市のルートを使う場合の安全性を確認している。市によると正直言って「五人に二人」だそうだ。将平君は「あとの三人は?」と訊いているのだが市ははぐらかしてる。私見によれば、同じバスに乗った五人のうち二人が生き延びるというよりも、五台のバスのうち三台は見つかって皆殺しといったところではないか。だが、そうとなると「adios」号は何台あっても足りないか...。

 何年か前にテレビで歴史のドキュメンタリー番組を観ていたところ、遣唐使のうち生きて日本に戻ってきたのは三人に一人の割合であったという。恐るべき低率である。当時、朝鮮半島の政情治安が悪く(今も北側はそうか)、船は長旅で直接、中国大陸と行き来せざるを得なかったのも一因であったらしい。


 映画「ディア・ハンター」の圧巻は、捕虜となったロバート・デニーロが、そして終盤でクリストファー・ウォーケンがみせるロシアン・ルーレットである。リボルバーに実弾を一発だけ。当たる確率は五分の一か六分の一。デニーロはその確率の二乗をすり抜け、三乗目で目的を達した。賭けに強いのだ。ともあれ一回限りの挑戦において、遣唐使ロシアン・ルーレットより死ぬ確率が高い。

 鑑真と阿倍仲麻呂は別の船で同時に唐を出航した。仲麻呂は水死こそ免れたが不運にも失敗して戻らざるを得ず、そのまま大唐国で客死した。失明しても渡航に挑戦し続けた鑑真は、ようやくこの回で来日を果たす。唐招提寺にある鑑真の墓を訪れたとき、墓地は木漏れ日に包まれ、静かで穏やかであった。あんな素敵な墓は見たことがない。

 その地に息子を連れて二度目の墓参に行ったとき墓の真ん前で携帯電話が鳴り、母からで「あんた今、またプーケットあたりで泳いでいるんじゃないでしょうね?」という妙な質問を受けた。かつて私は休みが取れると、しばしば南の海で泳いでいた。その日は2004年の暮れ、スマトラ島沖地震の日だったのだ。死者は22万人を超えた...。


 延暦二十三年の遣唐使船四隻のうち、一隻は難破、一隻は今に至るも行方不明。唐に着いたのは二隻で、うち一方は遥か南に流されて大変な苦労を強いられた。これに空海が乗っていた。無事到着した一隻には最澄がいた。日本仏教史上の最大の幸運かもしれない。見方を変えれば、両大師に比肩する知的巨人の多くが日本海に沈んだに違いないのだ。


 なぜかケンヂは勝率が低い方の偽造手形による3千人のうちの生き延びた一人(誰だろう、興味ありませんか?)に関心を示した。スペードの市によると、腕の良い偽造屋がいて、そいつが本物ドンピシャのを作ったという。すでに閉店しているが今も町にいると聞き、ケンヂはそいつのところに連れてってくれと頼んだ。

 営業に失敗した市は、なぜ危ない通行手形にこだわるんだと、当然の質問をしている。ケンヂは関所が気に入らねえと丁寧に返事をした。「通る人間、片っ端から打ち殺す。実によくねえ。」とまた言った。ケンヂは怒っている。そして、幕末の志士のごとく死を覚悟している。命を張らなければ、正義の味方は務まらない。


 ケンヂは続いて、「俺がどこをどう行こうが指図は受けねえ。」とご挨拶。険悪なムードの二人に挟まれてキョロキョロしている将平君の素振りは、これまた星野鉄郎とそっくりだな。市はケンヂなど最早どうでもいいのだろうが、逃亡警察官から目が離せない事情がある。席を立って「ついて来な」と言った。



(この稿おわり)




こういう店が近所に現役でがんばっているのだから東京もあなどれない。
「くーだーさーい−なー」と言えば、リボルバーを売ってくれるだろうか。
(2013年1月29日撮影)






 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも   阿倍仲麻呂






































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