第19集の180ページ目。拳銃をケンヂに向けたままで立ち尽くす長髪に、「総統!!」と部下からの報告があった。暴徒が城をと言いかけたところで、総統は殺せと命じた。部下は暴徒があまりに多くと言いかけたところで、総統はみんな殺せと命じた。
これに対してケンヂは先ず「総統なんて呼ばせてんのか」と小馬鹿にし、さらにみんな殺せと言っても死ぬのはおまえの部下と市民だと言っている。そして「お前は、言ってるだけだ」とケンヂは言う。でも言っているだけなら、”ともだち”も万丈目も似た者同士だ。どこが違うのか。
長髪の総統は「黙れ」と返したものの、息が荒くなっただけで何も言えず、銃も撃てない。ケンヂは1989年と同じ質問を同じ相手に、もう一回した。お前の名前は何なのかと。戦いの場において名乗りを挙げるというのは重要なことだ。下手に負けたり逃げたりすると生涯の名折れとなる。
答えようとしない長髪を見限ったのだろうか、ケンヂは挨拶の際の礼儀を重んじて、サングラスを外し「俺はケンヂだ」とようやく本名を名乗った。かつてのアホ面の面影はない。それにしても、あれほど将平君がケンヂさんですよねと尋ねても一顧だにしなかったのだが、やはりここは対決の場面だからだろうな。ずっと前に「俺、ケンヂ」と名乗ったときとは迫力が違う。
次のページから第11話「帰ってきた男」が始まる。帰ってきたヨッパライをもじっている。手分けしてケンヂを探していたスペードの市らだが、将平君が気付くと関東軍の一人が自分に銃口を向けている。武器を捨てろと叫ぶ市と一触即発の事態になったが、氏木氏がのんびりと「何か聴こえませんか」と言って緊張を和らげた。
城の外で「暴徒」らが「グータララ、スーダララ」を歌っている。この歌と言うか節は、軍歌でもなければ反戦歌でもない。後のヨシツネの表現を借りれば「何もするな」の歌であろうか。歌詞もそれを暗示している。果たして、関東軍の兵士は銃を将平君に手渡して投降した。まさしく四面楚歌だ。項羽も関羽も敵側の歌を聴いて死を覚悟している。城は落ちた。残るは天守閣に閉じこもったお殿様のみ。
将平君がギターを持った男を見なかったかと訊くと、軍人は黙って後ろを指さした。先ほど総統に報告した際に、変な男がギターを抱えていたのを見たのだ。「今行くぞ、矢吹丈」と言って階段を駆け上がっているのは、先ほど矢吹丈なわけねえだろうと氏木氏をアホ扱いしたスペードの市であろう。他に呼びようがないから仕方ないか。
そんな場合ではないと思うのだが将平君は持論を展開し、彼は矢吹丈ではなく氏木氏の隣に住んでいた遠藤カンナの叔父さんケンヂであると氏木氏に主張している。スペードの市の足が止まった。見れば長髪がケンヂに銃を向けている。市は「親玉」を撃てと将平君に命じた。人選ミスである。彼は多くの決定的な場面において、銃を撃てなかった警察官である。市は知らないのだよ。
やはり将平君は「う...」と詰まりながら、拳銃を扱いかねている。どうやら、またセイフティ・ロックを外せないらしい。市はこれを見放して、お前が撃てないなら俺がと投げナイフの構えを取る。このとき、もう一度、ケンヂが「俺はケンヂだ」と話を再開したので長髪は取りあえず命拾いした。だが、これからケンヂの重たい苦労話を聞かされることになる。
余談で終わります。WBCが始まった。いまWBCと聞いて、ボクシングを思い出す人は随分減ってしまったのではないだろうか。野球もすっかりサッカーやフィギュア・スケートのように、「健全なナショナリズム」とやらを高揚する種目に人気を奪われてしまった観がある。
スポーツにも流行り廃りがあるのだ。でも私はやはり野球が好きだな。過去2大会、上原やイチローや青木や涌井の活躍ぶりが忘れられない。お楽しみはこれからだ。
(この稿おわり)
二人並んで すまし顔 (2013年2月24日撮影)
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