おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

再び脱走中 (20世紀少年 第550回)

 第17集第5話、「絶望の始まり」は、ともだち暦元年まで時をさかのぼる。「これは人道的措置です」というアナウンスが駅構内に流れていて、物々しい格好をした治安部隊が人々を列車に詰め込んでいる。まだ地球防衛軍は整備されていないようで、これは自衛隊なのか何なのか。

 プラットフォームの看板に、「宇都宮線東北線)」、「高崎線」という看板が見えるので、これは上野駅であろうか。この両路線は我が家のすぐそばを走る。朝早く散歩していると、上野行きの列車は少なからずの人が乗っている。都心で早朝からお仕事なのだろう。


 宇都宮線は大雑把にいうと昔の奥州街道日光道中に近い所を走っており、宇都宮で東北方面と日光方面に別れる。高崎線はかつての中山道に近く、途中で北陸方面に分岐する。どうやら、これらの鉄道を使って一定の期間、郊外の隔離施設に収容する人々を連行するらしい。

 アナウンスを信じるならば、「戒厳令下で外出していたみなさんの中には、多数の保菌者が確認されています」という理由により、彼らは一網打尽にされて東京から排除されている。全世界で行われているらしい。いつ、なぜ、東京に戒厳令が敷かれたのか分からないぞ。法王が暗殺されかけてからか? 軍事支配体制化で、万博を楽しめるのか。


 舞台は変わって、一見のどかに見える山里、未舗装の道路、その道を歩く男ばかりの5人連れ。彼らの会話を総合すると人道的措置とは名ばかりで、山の中にテントとベッドが置いてあっただけらしい。どうやら彼らは個々の隔離施設から脱出してきたようで、後にワクチンを受け取ることになる山内さんは新潟から、もう一人の志村けんのような男は富山から逃げてきたという。

 さらに、噂では石川の施設はウィルスで全滅したのだという。その話をした男が持っているガイドブックの表紙には「信州」と書かれているので、ご一行は北陸方面の各地から逃亡中に巡り合い、信州の里を歩いて東京に向かっている様子である。ところで、一行はこの5人だけではなかった。


 一人遅れて倉田さんという中年の男性が杖にすがって歩いているのに気付いて、ニット帽のようなものをかぶった若い男が肩を貸している。倉田さんによると「ウチの施設は警戒が厳重」で逃げ出すときに怪我をし、「落合さん」に助けてもらったらしい。

 その落合さんは、向こうのほうで車の音がしたと言って様子を見に行ったらしく、戻ってきて「国道のほうに行ったようだ」と報告している。相変らずオッチョは素顔に本名。前回は角田氏だったが、今回は鈴木さんを連れて、再び大脱走してきたらしい。残念ながら、今度はどんな手を使ったのか描かれていない。


 オッチョによると、幹線道路は連中が封鎖しているため車での移動は危ないらしい。戒厳令は全国的か。さて、信州から東京方面に向かうにあたり、仮に直線コースを選ぶとすると、間に立ちふさがる関東山地八ヶ岳連峰を乗り越えていかなければならない。間道もあるが、オッチョは「幹線道路」と言っているし、絵の景色は山道ではない。

 彼らは信州から山地の北を回る中山道か、南を巡る甲州街道の裏道を歩いているはずだが、そのどちらかは不明。倉田さんとオッチョがどの県の収容所にいたのかも語られていないが、前出の三県とは違う様子なので福井か長野あたりか。それにしてもオッチョともあろう者が、やすやすと電車に押し込められて連れて行かれるとはどうしたことだ。


 まあ、過去のことは良い。どうやら彼らは、とにかく本来の住居地である東京に向かっているだけで、いま東京がどうなっているか知らないらしい。それでも自宅があり、家族がいるから帰る。前方に家並みがあり、食べ物を売っていた感じの店も見つかった。帰宅難民はここで一息つくことにしたようだ。最後の一息になった。

 ちなみに、ニット帽の青年が来ているシャツの胸にある「Raw Power」というのは、古いロックのアルバムの名前だが、私は聴いたことがない。イギー・ポップやデヴィット・ボウイは、私の周囲に聴いている人はいなかったように思う。手加減なしの暴力というような意味なのだろうか。そんな服、着てるからさー...。




(この項おわり)



上野駅にて。マンガとちょっと違います。 (2012年11月27日撮影)




   くじけちゃならない人生が
   あの日ここから始まった

                 「ああ上野駅




























































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