おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

お次は親衛隊か... (20世紀少年 第525回)

 サナエとカツオ、そしてオッチョは無事、淀橋テレビセンターに到着した。第16集の186ページ。オッチョの目的は、「タイミングを見計らって降りよう」であり、カツオはテレビに夢中、しかも二人は自分の用件にしか関心がないようで、両方の面倒をみないといけないサナエの責任は重たい。

 40年前、50年前と比べたとき、家電製品は冷蔵庫や洗濯機のように、それほど大きく外見が変わっていないものもあれば、電話機や音楽の再生機器のように大変化したものがあるが、テレビはその中間で、正面から見るとそれほど変わっていないが、横から見ると大違いだ。


 カツオはテレビセンターに山積みになったテレビを見渡して興奮しているが、これは今は亡きブラウン管のテレビである。薄さを競い合っている現代のテレビをみたら、さすがにバカボンのパパも「テレビの人」の存在を否定せざるを得まい。

 小学生のころ、妹の友人一家のテレビ・アンテナに落雷があった。一家は夕餉のひと時を穏やかに過ごしていたらしいが、落雷の瞬間、大音響とともにブラウン管と画面が爆発したそうだ。さいわい怪我はなかったそうだが、とにかく家族一同、しばし呆然とテレビの残骸を見つめつつ無言であったという。


 小山田電気商会のおじさんの「修理はこちらー」という声に反応してしまったのが、サナエの不覚であった。暗い店内には、武装した「親友隊」が3人も張り込んでいたのである。地球防衛軍に続いて、また訳の分からない連中が出てきたので、さすがのオッチョも、隠れたままで「親友...?」と呟いてしまった。

 この親友隊というのは、後のサナエによる説明では「”ともだち”の親衛隊みたいなもの」であるらしい。近衛兵のようなものか? 成り上がりの大統領の分際で? しかも後に出てくるが、親友隊と地球防衛軍との間で、役割分担や指揮命令系統に混乱が見られる。正常治安の悪い国は、軍隊だか警察だか区別のつかない危ない連中が威張っていることが多いが、ともだち暦の日本はそこまで落ちぶれてしまったのか。


 親友隊は、テレビが壊れた事情について取り調べているらしい。姉が仕切る間もなくカツオは真っ正直に、夜中に放送が終わってからもつけていたら、次の日に映らなくなったと条例違反を自白している。追加の質問、「夜中に何か聞いた?」にサナエの表情が歪む。

 最初にテレビに近づいた隊員が銃を構えそうになったときには姉弟も驚いたが、彼はカツオが落とした飴玉を拾ってくれたのであった。ヒッチコック的な伏線の張り方である。しかし、取り調べは終わらなかった。サナエが冷や汗をかきながら黙りこんでしまったとき、故障してスイッチも入っていないはずのテレビが火を噴いた。オッチョはどんな手を使ったのだろう?


 子供と怪我人の3人連れにまかれるとは、親友隊も知れたものだな。カツオはテレビを置いてきちゃったと叫んでいる。オッチョという人は、肝心な時に恐ろしく寡黙であるかと思うと、こういうどうでもいいときには、しっかり反応する不思議な人物である。「そこらへんに山ほどある。持ってけ!!」と言った。テキヤか。

 持ち運べそうな小さなテレビを選んだサナエだが、今度はそのテレビ屋の親爺に見つかってしまい、またまた追いかけられる三名であった。ようやく逃げおおせたオッチョの推理によれば、条例違反を犯すとテレビは壊れるようにできている。武装蜂起を呼びかける声が聞こえてくるからだ。


 「街は一見、平穏に見えるが」とオッチョは言った。この騒ぎを起こしておいて、銃で撃たれた脚を引きづりながら、彼の眼にはこの街が一見、平穏に見えるらしい。さすがは幾多の修羅場を生き延びてきたショーグンである。それだけに、彼が出した結論は重い。「どうやら、連中にとっては戒厳令下らしい」とオッチョは続けた。テレビから流れる声は国家の機密に関わるのか。

 逃げくたびれたか、歩き始めたオッチョたちは、街角にボウリング場の建物を見た。3年前に(西暦があったころだろう)、オッチョが新宿で野宿をしていたころもこの建物はあったが、今の看板には見覚えがないという。それは、「俺達から秘密基地を奪ったガッツボウル」であった。捨てる神あれば、拾う神様あり。




(この稿おわり)





用水路の鴨 (2012年10月21日撮影)


























































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