おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ともだち讃歌 (20世紀少年 第522回)

 小学校で教わったある曲の歌詞で、ロビン・フッドとトム・ソーヤの名を知った。原曲はアメリカ民謡と聞いた覚えがあるが、ロビン・フッドはイギリス人だぞ。「一人と一人が腕組めば」で始まる景気の良い歌である。

 この曲は替え歌が多いが、ロビン・フッドとトム・ソーヤが登場するヴァージョンの邦題は、よりによって「ともだち讃歌」である。困ったものだ。「20世紀少年」を読んでいると、ときどき世の中や自分の過去が、ゆがんで見えることがある。ともだち讃歌。


 原曲は長いので、一節のみ使った替え歌もある。私の少年時代において、「おたまじゃくしはカエルの子」が有名であった。ナマズの孫ではない証拠について詳しく説明している。

 この耳慣れたメロディーに乗せて、某家電ショップが盛んにコマーシャルを流し始めたのは、いつごろだったろうか。70年代か、80年代か? 歌詞のほとんどは、当時まだ国鉄であったと思われる今のJR東日本の山手線と中央線の知名度を借りただけのものであった。


 同店の立地は素晴らしく良かった。今も、そこにある。21世紀に入って新宿で勤務していた時代、海外からのお客さんたちが、しきりに「アキハバラ」に行きたがるので、新宿西口、駅のそばでも充分、同じ買い物ができると何度、忠告したことか。それでも耳を貸さない。ブランドに弱いのは大和民族だけではないのだ。彼らは土産だけではなく土産話も買うのです。

 注目すべきは、当時の同社の「売れ筋」と、それに由来する社名が、「カメラはヨドバシカメラ」だったことだ。現在この社に限らず、同業他社の店頭をうかがっても、カメラを主力商品にしている店はほとんどあるまい。おそらく1階は携帯端末であふれ辺ってるはずだ。今やカメラは、スマホやケータイを買うと付属機能として黙っていてもついてくるのである。時計と同じく、高級品と日用雑貨に二極分化したのだ。


 淀橋については、かつて話題にしたので、ここで詳しい話を繰り返すのは避ける。青梅街道が神田川を渡る地点に架けられている橋の名である。さて、私は少年時代に一度だけ、東京見物に来たことがあり、東京タワーと羽田空港だけ観て日帰りで静岡に戻った。

 そのとき、まだ新宿の超高層ビルはなかった。そのころまで、今の西新宿のビル街がある地には、淀橋浄水場があったらしい。その後、浄水場は移転して高度経済成長とともビル群が現れ、でも血の大みそかで爆破されて、そのあと再建されたかと思いきや、どうやらカツオの発言によると、ともだち暦3年には「淀橋テレビセンター」があるらしい。


 サナエとカツオの母によると、テレビがいきなり故障したのは父ちゃんがポンコツなんかもらってきたからなのだが、後にオッチョが推測したように、それは多分、誤解であり、テレビですらある種の盗聴器にするほどの陰険な支配者による策謀であったようだ。

 オッチョは自力で歩けない以上、移動には交通手段が必要である。だがカツオが電車を見たことがないというほどまで都市文明は衰退している。

 サナエはテレビとオッチョをリヤカーに載せて毛布で隠し、人力で車を引き始めた。頼まれもしないのにカツオが後ろから押す役を買って出た。この台車の上から、オッチョはおぞましい光景を目にすることになる。



(この稿おわり)




山手線の日暮里駅。昔の駅舎は、こういう風にレールを廃物利用していたのだが、それにしてもこれは古いな。
(2012年10月19日撮影)



















































































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