おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

オッチョの焦り (20世紀少年 第523回)

 この第16集から第17集にかけては、ともだち暦に入った日本において、どれほど陰険な恐怖政治の下で、どれほど人心が荒んでいるかという状況を、ほとんどオッチョ一人で確認して回るかのような内容になっている。気の毒な役回りというほかない。

 ぽんこつテレビと一緒に車上の人となったオッチョは、古い木造店舗が立ち並ぶ商店街を見て、「いったいここは、いつの時代だ」と呆れている。苦労して壁を乗り越え入ってきた東京の壁の中は、おそらく遠藤酒店や丸尾文具店が並んでいた1970年ごろの商店街よりも、はるかに古臭くて人通りもない。


 ここに見える「食堂」や「薬局」なら今でもあるが、「氷屋」という看板はもう絶滅しただろうな。私が小学校の中学年まで、実家の冷蔵庫は電動ではなかった。氷屋さんが売りにくる氷を買い、小さな冷蔵庫に氷を入れて冷すのである。氷屋さんはノミとカナヅチで巧みに氷を割って売る。きれいに割れる断面みたいなものがあったのだろう。

 「何が21世紀だ。何が未来だ。」とオッチョは言った。彼が秘密基地の中で、あるいは大阪万博の会場で、友と一緒に夢見た輝ける未来、21世紀の現状はこのありさまだったのだ。


 おまけに、ジジババのような店まである。つめたいものが飲みたいと、カツオが地団駄を踏んでいる。彼は「ジュース、くださいなー」と言っているのだが、このような店では正式には第14集でヨシツネが言っていたように、「くーだーさいーな」とイントネーションをつけて言わなくてはならない。

 カツオが手にしているのは、コーラかサイダーか。オッチョや私が子供のころ、果汁100%のジュースなどというものは庶民の生活範囲に存在せず、とにかく何か甘いものが入っているビン入りの飲料すべてをジュースと呼んでおった。店ではマルオのようなおばさんが出て来て、代金は80友路であるという。カツオは飴玉をおまけにもらって嬉しそうだ。


 この友路(ユーロ)なる通貨も、世界大統領と同様、実際に流通しているのは、日本国内だけではなかろうか。通貨というのは、これでも昔は金融業界に勤めていたので少しは意見があるのだが、その国の経済の顔であり、金融政策の顔である。どんな国でも、”ともだち”にワクチンで救ってもらったくらいで、通貨まで強引に変えさせられてたまるものかい。

 次が難関であった。交番である。警官は怖そうだったが、しかし「気をつけて行くんだよ」と敬礼してくれた。姉弟も冷や汗の敬礼返し。しかしオッチョにとって真の衝撃は、サナエの車が陸橋のてっぺんあたりに差し掛かって、見晴らしがよくなったところで目に飛び込んできた光景だった。


 ”ともだち”一味の建造物は、センスが悪いものばかりだと言ってきた。初代の巨大ロボットも、ともだち記念堂も、ニセの太陽の塔も、ともだち府も、ろくなデザインではない。しかし、今回は特段に酷い。見るからに張リボテである。大型クレーンが載っているので建設途中らしいが、これから更にひどくなるに違いない。

 あれはなんだとオッチョが訊くと、サナエは「地球防衛軍」だという。オッチョは「なんだそりゃあ」と言った。サナエが語る”ともだち”の説によれば、宇宙人の侵略から地球を守るためであり、ウィルスも宇宙人がばらまいたのであり、そもそもケンヂ一派こそが宇宙人であり、光線銃をつくって来たるべき最終戦争に備えるのだという。火星移住の話まで出ているらしい。


 君は信じているのかというオッチョの質問に対し、サナエは信じている人もいるし、父もその一人だが、自分は信じていないという。「ちょっと、子供みたいな話だし」とサナエは理由を語った。オッチョは、いま聞いたばかりの話を反芻しながら、額に汗を浮かべている。暑さのせいではあるまい。

 20世紀末、”しんよげん書”の時代、オッチョらは自分たちが書いた予言の書どおりの悪夢が次々と実現していくのをみて戦慄した。だが、考えようによっては、自分たちで書いた以上、次に何が起きるか想像がつくのだから、血の大みそかの準備もできたのだ(結果的には、心の準備くらいにしかならなかったかもしれないが)。


 しかし、21世紀、”しんよげんの書”の時代に入り、最初のあたりはモンちゃんの地道な取材活動によって、教会の集会、正義の味方の暗殺、万博万歳、世界大統領云々と、ある程度の情報は集まり、それを誰かがまた実現しようとしてきたことも分かってきた。しかし、”しんよげん書”の続きは、オッチョには分からない。意味不明の「せいぼがこうりんする」程度のことしか判明していなかったのだ。

 そしてどうやら、ここにきて、”しんよげんの書”も第10話のタイトル通り、「子供の発想」によるもので、さらに、”よげんの書”よりも、一層、中身が荒唐無稽である可能性が見えてきた。万博と世界大統領だけでは終わりそうもなくなってきたのだ。「宇宙人侵略、光線銃、最終戦争、地球防衛軍、子供みたいな話...」。オッチョの焦燥と嫌悪の表情がすさまじい。


 動転する乗客の心境をうかがい知るすべもなく、サナエとカツオはようやく陸橋の一番上までたどりついて、ちょいと一休みである。「よーし、あともうひとふんばり!!」と、サナエは気合いを入れた。一ふんばりどころではない事態が待ち受けているとは、姉弟はもちろんオッチョとて、いきなり騒動に巻き込まれるとは思っていなかったと思うが...。

 でも、この物語において騒動は、この男の行く先々で起こることになっているのだ。2015年で西暦が終わり、ともだち暦になった時点で、”ともだち”はようやく満足し落ち着いたかのように見えたかもしれないが、どうやらそれは表面的で、嵐の前の静けさのようであった。テレビを修理している場合か? 実際、そうではなかった。





(この稿おわり)




やっぱり建物は優雅でなくてはいけない。静岡市役所。(2012年10月19日撮影)















































































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