おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

みんなのうた (20世紀少年 第577回)

 私は野球観戦が好きだけれど殆どテレビで、球場に足を運ぶのは年に一二回程度です。昔はなかなかチケットがとれなかった巨人戦は、2試合しか観たことがない。

 その1回目で王貞治のホームランを見て、2回目に松井秀喜のホームランを観た。どちらも文字どおり弾丸ライナーであった。幸運というほかない。松井選手、お疲れさまでした。


 さて。今日から第18集に入ります。この巻の途中で年を越しそうだな。表紙絵は夜の北方検問所を背景とするケンジの顔。巻のタイトルは第4話の「みんなの歌」が採られている。オッチョがカンナに、あの歌を聴かせる場面が出てくる。

 私が生まれた翌年の1961年は、アメリカでケネディーが大統領に就任し、ソ連ではガガーリンが人類初の宇宙飛行をした年で「東西冷戦」真っ盛りという感じだが、日本は平和なものでNHKが二つの長寿番組を始めている。その一つが「みんなのうた」、もう一つが朝の連続テレビ小説。「みんなのうた」で、「オブラディ・オブラダ」を演っていたのを覚えている。


 「登場少年紹介」では、表紙絵の男は「矢吹丈」となっており、「北の果てからギターを持ってやってきたC調男」と紹介されている。C調についてはいつだったかクレージー・キャッツに絡めて書いたが、私たち以下の世代ではサザンの歌でご存じかもしれない。広辞苑にも載っていて、「調子よく軽々しいさまをいう俗語」となっている。

 第1話のタイトルは、「グータララ♬スーダララ」であり、まさしくC調的な幕開けと言わねばならない。コンビニエンスストアー「JASON」の看板が出てくる。良く似た名の実在するコンビニから採ったものだろうが、どうも私は映画「13日の金曜日」を連想してしまう。ゾンビ、ハロウィンと共に、私の学生時代、映画館を血に染めた。


 内藤先輩が最初で最後の登場。同じ店内に同じ制服のサナエがいる。彼女が先輩と呼んでいたのは職場が同じだったからなのだ。内藤先輩は面長で人の好さそうな青年で、働きながら「ボブ・レノン」を唄っている。サナエは曲名を知らなくて彼に訊いているのだが、彼は直接答えず、「このあとのエンディングがいい」とか「いい歌だろ」などと言うのみ。

 内藤先輩はラジオで偶然聴いただけで、曲名も歌手も知らないのだろう。サナエが第17集で、この歌の続きを知っていると自分で驚いていたのは、仕事中に先輩から教わったからだったのだ。内藤先輩は「この曲作った人ってコンビニのことよく知ってる人みたいな気がしてさ」という名文句を残した。大当たりだ。でもなぜ? コンビニ業界の意見を聞きたい。

 サナエは先輩にほのかな恋心を寄せているようだが、第16集に出てきたとおり内藤先輩は行方不明になっている。そして行方不明のまま物語は終わってしまうのだが、土壇場でサナエが果たした役割のことを考えると、先輩にはぜひ無事に生きていてほしいものである。


 銀杏通りという看板が掲げられた人気の少ない商店街を、オッチョと目付きの宜しくない3人の男たちがそのサナエを探している場面が続く。オッチョの同行者たちは、仁谷神父が語っていた「私の手下」であろう。ここまで裏の世界と親しい聖職者というのも、そうはおるまいな。

 このあたりは親友隊が多いと彼らは警戒している。だが、オッチョはサナエを探すまで帰らん、これ以上の犠牲はたくさんだと頑固である。そう言った途端に、向こう側からサナエが歩いてきた。ハルク・ホーガンさんに抱きついて泣くサナエに、オッチョはカツオの無事や親ごさんに連絡済みであることを伝えて安心させようとしている。


 だが、サナエからは悲報とも呼ぶべき情報がオッチョにもたらされた。彼女は氷の女王の8月20日武装蜂起を止められなかったと報告したのである。会ったのかという質問に頷いたサナエに、オッチョは「どんな女だった?」と厳しい表情で問うている。サナエによれば優しい人で、「仲間の人たちは彼女のことを、”カンナさん”て」呼んでいたという。

 「やはり」とオッチョは言った。相変らずオッチョの人生には偶然というものがない。悪い予感も全て当たるようにできている。サナエは経緯を簡単に説明し、「それで、これをくれたの」とバッグに詰まった沢山のカセットを見せた。カンナのカセット・テープといえばケンヂおじちゃんの音楽に決まっている。オッチョの表情がとてつもなく暗い。カンナがサナエにこれを託した心境をオッチョが察しないはずがない。だが、サナエの土産話はこれだけではなかった。



(この項おわり)




我が家の飾り (2012年12月21日撮影)





















































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