おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

屋敷の構造 (20世紀少年 第493回)

 首吊り坂の屋敷が再登場する。首吊り坂の事件の話題そのものは、すでにちょっと第1集に出てきたが、詳しい話は第8集に登場する。少し復習します。今回はこの屋敷がどういう建物なのかについて、貴重な時間とブログ面を費やす。

 第8集の第10話は、その名も「首吊り坂」。主な語り手はヨシツネ隊長と、ヴァーチャル・アトラクション内のオッチョ少年である。屋敷はヨシツネたちの近所の坂を上りきったところにあった。大正時代に外国人が病院をやっていたところらしい。その外国人ドクターの養女が、幽霊の候補、神田ハルだった。


 ヨシツネはハルが「美しい娘だった」と言っているが出典不明。ヨシツネとオッチョによると、ハルは養女をとり、同時に男も作ったが、その二人が駆け落ちしたらしく、失意のハルは首を吊った。

 廃屋となった屋敷の二階の窓には、オッチョによると「女の人影を見た人が何人もいる」のであった。

 「そして屋敷の中では首を吊った神田ハルが...」とヨシツネが語るのを聞いて、「やめたほうがいいよ、やっぱり」とコイズミは言った。 第16集では、木漏れ日が輝く坂道を上りながら、サダキヨも「やっぱりやめようよ」とおじけずいて

 しかし、フクベエはこれを相手にせず、「幽霊なんかいやしない」とか「人間は死んだら、誰でもなくなるんだ」とドンキーのようなことを言って屋敷に踏み込んでいく。安心したのか釣られてか、サダキヨも後を追った。なお、この町では、素顔のサダキヨとナショナルキッドのお面の子が一緒に歩いていても大丈夫だとフクベエは思っているらしい。


 フクベエはそのお面を外しながら、土足で廊下に上がっている。隅に置かれた長椅子は、オッチョ少年が懐中電灯で照らしたものと同じ。待合室みたいだなとケンヂが言っている。次にオッチョが照らし出した小窓は、おそらく受付の窓口で、医療事務の人が座っていたのだろう。

 その奥に診療室がある。少年たちがここで「ひやああああ」と驚いているのは、人体解剖図を見てしまったからだ。つげ義春のような絵柄である。ベッド、点滴、薬品の壜などが残されている。昔の町医者だから、内科も外科もこなしていたに違いない。病人も怪我人も、あの坂を上り下りするのは大変だったろうな。


 屋敷は外見も立派な洋館だし、事件の舞台になった階段も洒落たデザインである。1階が病院で、2階が住居だろう。それに広い。第16集57ページ以降の絵によると、玄関から真っ直ぐ先に延びた廊下は、横に走る別の廊下と十字路をなしている。その交差点の手前の左の壁に、大きな鏡がある。

 確かに病院の待合室には、姿見が置かれていることが多い。私は全く気にならないが、患者さんの中には診療の前後に身だしなみが気になる人もいるのだろう。この鏡の位置については、追ってまた話題にします。


 さらに奥まで進んで階段にたどり着いたフクベエは「いいこと思いついた」と言った。サダキヨにとっては、全然よくないことであった。家からシーツを持ってこいと、とんでもない高圧的な命令を受けたのである。「これで、やっと取り返せる。僕の夏休み」とフクベエは言った。誰から? 

 夏休みの楽しさを失ったのは彼自身の判断と責任によると思うのだが、当人の認識は異なるようだ。彼は少年時代から死ぬときまで、ひたすら人の注目を浴びることを願った。それが何よりの快楽だったらしい。私はアームストロングより、コリンズの話を聴いてみたいなと思うだが、この点でもフクベエの考えと合わない。


 フクベエは人使いが荒い。思いついた「いいこと」とは、首を吊ったままの幽霊を偽造することだったのだが、物資の調達や偽装工作を、すべてサダキヨにやらせている。サダキヨは、これじゃまるでテルテル坊主みたいだから、顔とか書いたほうがいいんじゃないかなと提案しているのだが却下された。

 その理由は、「顔がないのが、一番怖いんだ」という最近のフクベエの体験を根拠としている。サダキヨは理解できないが、反論もできず、そのままになった。このため、すでに見てきたとおり、作品はフクベエ以外の誰がどう見ても、テルテル坊主であった。少年たちが予想した通り、さぞかし晴れたに違いない。



(この稿おわり)






オニヤンマ (2012年8月9日撮影)
二人合わせて ヤンマーだ 君と僕とで ヤンマーだ♪
































































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