第16集の47ページ目。玄関から「ハットリくーん」という呼び声を聞いたフクベエ少年は、「まさか...ケンヂ...?!」と驚いて駆け出している。しかし、勘違いだった。
後日、実際にケンヂが訪れたときに「フクベエ」と呼んでいるところをみると、これまでケンヂはフクベエの自宅まで遊びの誘いに来たことが無かったのかもしれない。そうでなければこんなに驚かないだろうと思うな。
そして、フクベエのほうは、かなりそれを期待していた感じがする。「まさかケンヂが僕の家に...」と言いながら、窓の外を窺っている。しかし、彼にとって残念ながら、やってきたのはケンヂではなくて、サダキヨであった。
しかも、二人のお約束事である”ともだち”と呼ばず、東京にいないはずの彼の名を呼んでしまったのだから、フクベエは怒り心頭に発した。ウソがバレてしまう。
ところで、なぜか私が幼かったころの民家は、たいして広い敷地でもないのに、便所には大便器と男性用小便器が一つずつあった。いまだに不思議である。
後者はその形状からか、「あさがお」と呼ばれていたが死語だな。ただし、広辞苑にはちゃんと「男性の小便用の便器」という説明が載っている。フクベエがケンヂかもしれないと動転している心境は、彼が「あさがお」の上に乗るまでして、来客が誰なのかを確認している様子からも伺うことができる。
後に本物のケンヂが来たときも、彼は同じことをしている。ちなみに、この服部家のように玄関のすぐ隣にトイレがある家屋というのは、あまり記憶がない。静岡では通常、裏側にあった。
サダキヨに実名を大声で呼ばれて、フクベエは二重に怒っている。最初のうちサダキヨは平謝りであったが、「たまに会うといえば、おまえみたいな気持ち悪い奴だけだ」と言われたときには、さすがに黙り込んだ。そのとき、ようやくフクベエはサダキヨの顔が傷だらけなのに気付いている。
これまで、サダキヨが暴行を受けている場面では、サダキヨは(サダキヨに勘違いされたフクベエも)、お面をかぶったまま蹴られている。しかし、今回はフクベエにお面を貸したまま素顔で外に出たため、彼は顔を殴られてしまったのだ。おこづかいまで取られたという。さすがにここで、フクベエもサダキヨを責めるのは止めた。
しかし、鬱屈はたまったままである。何か面白いことないのか、考えろよと命令したところ、サダキヨは誰にも見られずに遊べるところを思い出してしまった。「あのおばけ屋敷」であった。昔はお医者さんの家だったが、女の人が首吊り自殺して、「出る」らしい。「何が」とフクベエは訊いた。「幽霊が」とサダキヨは答えた。
サダキヨ少年がしょんぼりと座っている玄関の上がりかまちや靴箱は、のちに「ともだち博物館」に忠実に再現され、サダキヨ館長はガソリンをまいて火を放つことになるのだが、この時はそんなに元気ではなかった。
続いて、例の首吊り坂の屋敷の絵が出てくる。ケンヂやフクベエの住む町は坂が多い。虹を見に行くときも、長い石段を駆けあがっている。都内東部の下町には、こういう急な坂は殆どないと思うので、やはり町は東京の西側に位置するのだろう。
サダキヨに案内されて、フクベエが屋敷に向かっている。これから起きるでろう出来事の数々を思い出すにつけ、”ともだち”とは、本人の意向はともかく、サダキヨとフクベエの合作であった。
(この稿おわり)
この長い物語は、その日本史上類のない幸運な楽天家たちの物語である。やがて彼らは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼっていくであろう。
司馬遼太郎 「坂の上の雲 あとがき一 1969年」より。
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