おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あの人達が見たもの (20世紀少年 第496回)

 フクベエとサダキヨは、どうやらいったん懐中電灯を取りに帰り、夜になって犠牲者を見物するため、首吊り坂の屋敷に戻ったらしい。サダキヨも何とか必死に付き合っているのだ。そこへ早速、若い男女の二人連れが入ってきた。

 女のほうは幽霊が出るといって怖がっている。男のほうは、私と同様、オカルト系は全く信じていないらしく、「大丈夫だよ。ここなら誰にも邪魔されないって」と笑顔を見せている。「何を」邪魔されないのかは書かれていない。


 男は手にしたライターの火で火傷しかけたようで、「あちち」と言ってライターを消してしまった。100円ライターが登場する前は、こういうオイルを差しながら使い捨てずに使う金属製のライターであった。暗がりで女が更に怖がってライターを点けてと叫ぶものだから、男は再び火を点けた。そして、何かを見た。

 彼の目は恐怖で大きく開かれている。目玉が万丈目のように血走っている。彼は「ひゃあああ」と悲鳴を上げて、玄関に向かって走り出した。一緒に逃げながら「何? 何?」と訊く女に対して、男は「のっぺらぼー」を見たのだと叫んでいる。彼らが去ってから、懐中電灯を持ったフクベエと、不安そうな表情のサダキヨが隠れ場所から出て来た。


 二人は、前回に触れた十字に交差している廊下の右側に身をひそめて、来客の様子を見ていたのだ。フクベエは「みっともないよな、バカだよな」と成果に満足しているのだが、サダキヨは、「あの人達、階段の下まで行ってないような...」と言い出した。フクベエは「行ったよ。だから驚いたんだ。」と強情だ。だが、アベックが階段の下まで行くためには、フクベエとサダキヨの目の前を通過しなければならない。

 珍しくサダキヨもこの点では譲れないらしい。「でも、あの人達が見たのって...」と続けている。「なんだよ」と訊き返すフクベエの後ろに鏡があって、彼の後ろ姿が写っている。サダキヨの視線の先を追ったフクベエは、そこに自分の立ち姿を見た。顔は、ある。そして、サダキヨは無言ながら、眼ではっきりと示しているのだ。闖入者の二人が見たものが鏡であったと。


 フクベエは「僕達が作ったテルテル坊主」(本人も認めるに至ったか)に驚いたんだと言い張り、これで明日から町中、大騒ぎだと喜んでいる。サダキヨは「そうだね」と言って目を伏せた。再び鏡を見たフクベエは、またも自分の服を着た「のっぺらぼう」をそこに見ている。

 男がどの地点で「のっぺらぼー」を見たのかは、はっきりしない。しかし、サダキヨにしては自信ありげに鏡を見たと言いたそうにしているところをみると、フクベエとサダキヨが隠れていた地点は、この家を横に走る廊下の右側であり、二人連れが歩いてきた縦に延びる廊下の左側の壁、交差点のすぐ手前に、その鏡があるのだから、二人の少年から見て、鏡には男が写っていた可能性がある。


 そうであれば、男からは少年たちが鏡の中に見える。男は幽霊を見たとは言わなかった。例のテルテル坊主は百歩譲って脚のない幽霊に見えたとしても、昔から絵に描かれている「のっぺらぼう」は顔以外、全部、普通の人体なのだから、普通あれを「のっぺらぼう」とは呼ぶまい。

 こうして、私の都合の良いように考え抜いた結果、男が見たものは鏡にうつるフクベエ姿の「のっぺらぼう」だったのだという結論に達しつつある。だが、私は「のっぺらぼう」の存在を信じていないので、これまで2回、フクベエが鏡で見た顔のないフクベエは、彼の視覚か精神の変調によるものだと考えたほうが気が楽だったのだ。だが、事はそう簡単に収まらなかった。さて、その話の前に、久しぶりにケンヂの登場場面がある。オッチョもヨシツネもモンちゃんもコンチもいる。



(この稿おわり)




文京区の青空 (2012年9月17日撮影)
























































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