おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

居場所 (20世紀少年 第498回)

 近ごろ気になるのが「居場所がない」という言葉である。特に、悩みを抱え込んだ若い世代がテレビでもネットでも、しきりにこの言葉を使っている様子である。そして、かなり深刻な感じがする。

 広辞苑の「居場所」は、本来の意味の「いるところ。いばしょ。」と簡略である。だが、現代日本で欠けているとされる「居場所」とは、そういう物理的に存在するための場所のことではない。意味がずれているのだ。


 これと少し似たことを、昔も今も中高年の男が愚痴る。すなわち、会社では上司や顧客に怒鳴られ、部下に突き上げられ、同期は競争相手である。家庭ではカミさんの尻に敷かれ、幼いころは可愛かった子供たちも偉そうにしている。身の置き所がねえとぼやいては、酒を飲むのである。主に、日常の人間関係が煩わしいということだ。

 しかし、現代の若者が居場所がないというとき、むしろ彼らは他者との繋がりを求めているように聞えるときがある。厳しめに言うと、周囲から認知、好意、評価、賞賛といった有り難いものを頂きたいのだが、それが上手くいかないので、これも人気の言葉だが、「自分らしく」暮せない。


 そうだとすると、気持ちはよく分かるが、私もこの年まで生きてきて分かってきたけれど、大人の人生は(特に都会では)、大半が努力や忍耐や苦労に費やされており、残りの1%を心の糧にして生きているようなものだ。理想を追うのは若者らしくて羨ましいくらいだが、現状を嘆くばかりでは身が持たないと思います。

 こんなことを長々と書いたのは、この第16集前半のフクベエが、まさしくそういう意味での居場所がない状態に陥っているからである。虹の原理を解説しても誰も聞いてくれず、基地の仲間に入れてもらおうとしても聞いてもらえず、これからも彼のおしゃべりは至ることろで無視されるのだが、もしかしたら心根が傲慢な割に、単に声が小さいのかもしれない。


 1970年の夏休み、彼は完全に居場所を失った。万博には初めから行けなかったのか、行けなくなったのか分からないが、それで親を恨むのは仕方がないかもしれないけれど、夏休み中ずっと万博三昧だったとクラスメート全員をだまそうと決めたのは本人であり、被害者はサダキヨであって、彼が自宅から出られなくなったのは自業自得そのものである。

 夏休みを取り返そうとして、テルテル坊主作戦を決行し、フクベエにとってはどうやら満足のいく成果を挙げたらしい。おかげで筆が乗って、8月31日まで日記を書いてしまったのかもしれない。ところがケンヂ君が、遊びましょうと来てしまったので、歯車が変な方向に回り始めたのだ。


 首吊り坂の屋敷における肝試しの計画については、第8集の159ページに既出である。ヴァーチャル・アトラクション内で「1971年8月28日」の日付の新聞を見たコイズミがふと気が付くと、ジジババの店の横の路地で、4人の少年がアイスを食いながら相談中である。「やっぱ、やるなら今日しかないだろ」と言っているのが多分、ケンヂ。29日の夜が「今日しかない」とは、おそらく宿題が終わっていないからだろう。

 彼によれば首吊り坂の屋敷に行った人間は、全員、幽霊を見ているのだという。ヨシツネによればコンチの兄ちゃんも、オッチョによれば中村の兄ちゃんの友達5人が5人とも見ている。おびえるマルオに対するオッチョの説明によると、階段の下まで行ったその時、このへんにさ、女の人が宙に浮いて...。一応、テルテル坊主と場所的には近いが、はなはだ外見が異なる。


 ケンヂは大乗り気であり、モンちゃんやフクベエやケロヨンにも声を掛けようと積極的である。彼はその言葉どおり、友達を集めて回ったのだ。しかし、フクベエは大阪にいることにしているから、大変、困ったことになった。クラリネットを壊した子のように、「どうしよう、どうしよう」と言っているうちに、ケンヂはあっさり諦めて「いないみたいだ」と振り返ってしまった。

 連れの二人の少年のうち、一人はコンチで、12時に家を抜け出せるかなと心配顔。もう一人の腕を組んでいるほうは、顔が見えないが当夜の服装からしてモンちゃんだろう。ケンヂはコンチに、「間違いなく見られるんだぜ。首吊り坂の屋敷の幽霊!!」と断言しながら、「うらめしや」と嘆く際の伝統的な幽霊の仕草をしている。


 フクベエは「ケンヂが、僕のつくったあれを見てびっくりする」と決めつけた。ついてはその場面を見たい。見たい見たいと7回も繰り返した挙句、彼は視察にいくことになった。後に出てくるが、彼はまずサダキヨに電話連絡を取り、隠れたままでテルテル坊主を揺り動かす役を命じた。

 そして、本人はナショナルキッドのお面をかぶり、寄合の様子を見に出かけている。そこに言いだしっぺが遅刻してきたのが運の尽きであった。ケンヂは「よおっ」と田中角栄のように手を挙げて声を掛けてきた。そして、「おまえも来たのか」と言った。この「おまえ」とは、誰のつもりなのだろうか、次に考えます。





(この稿おわり)





今年は夕顔が元気に咲きます。 (2012年9月29日撮影)















































































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