おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

”絶交” (20世紀少年 第423回)

 ロンドン・オリンピックが始まりました。楽しみであります。私は1960年のローマ大会の直後に生まれているので、人生最初のオリンピックは、1964年の東京大会である。たくさんの映像を覚えているが、何分当時はまだ3歳11か月だったので、それが実況中継だったのか、繰り返し放映されたに違いない録画だったのか区別がつかない。陸上短距離のスタートをあしらったポスターがカッコよかったのなんの。

 はっきりとリアル・タイムで見た記憶があるのは、次回の68年メキシコ大会からだ。特に、重量挙げの三宅兄弟が金と銅の表彰台に一緒に立った姿は今でもはっきり覚えている。弟さんのほうの娘さんが今大会、出場するというから嬉しい。チャスラフスカの平均台アベベの脱落と君原の銀、サッカーの銅。ビーモンの世界記録。
 
 それから、強い選手が多すぎて名前も顔も覚えきれなかったレスリングと体操ニッポン。「20世紀少年」には、オリンピックの話題はほとんど登場しないが、第1巻67ページの欄外に、「アニマル1」の解説として、メキシコ・オリンピックの名が出てくる。


 さて、オバケなど信じない冷静な科学の子ドンキーをして、2階の窓から下に飛び降りさせるほどの恐怖を抱かせたのは、首を吊っているのに生きて喋っているフクベエではない。それだけなら、とっくに逃げているはずで、逆に彼はトリックを見破って落ち着いているのだ。

 「いいのか、そんなこと言って」と再び頭ごなしに脅かしてナショナル・キッドを黙らせたフクベエは、山根とお面の少年の二人に「”絶交”だ」と命じた。二人はフクベエが繰り返す「”絶交”だ」に取りつかれたように、並んで正面からドンキーに迫ってくる。ドンキーは、ここに巨悪を感じ取り、反射的に逃走したのだ。


 単なる嘘つきに、人はついて来ないし、人を動かせないだろう。何か悪魔のような動力が働かなければ、画家志望のヒトラーだの留学生上がりのポル・ポトだのが、あれだけの政治軍事のリーダーシップを発揮できるはずがないと思う。時代の趨勢、社会の状況というものもあるのだろうが、周囲の当事者がそれだけで動いているのではあるまい。

 何回か前に、サダキヨはフクベエの言いなりと書いたが、サダキヨは率先して人殺しだの(モンちゃんは例外だが)大量殺人兵器の開発だのをやった形跡はなく、言い返せないという程度の「言いなり」なのだろう。他方、ここでの山根やナショナル・キッドは、本当にドンキー少年を突き落すつもりだったのかどうかは不明であるが、ドンキーが洗脳という言葉を知っていれば、それが脳裏に浮かんだに違いない。フクベエにそういう特殊な能力の萌芽を見てしまったのだろう。


 もしも山根たちに、本当にドンキーを突き落す気があったとしたら(これはさすがに、考えすぎかなと自分でも思うが)、理科室の夜は、”ともだち”が「嘘をつきそこなった」り、「死に損なった」りしただけではなく、ドンキーも”絶交”され損なったということになる。皮肉なことに後年、”ともだち”は理科室で本当に死に、ドンキーも学校で本当に突き落されて死んだ。

 辞書的な意味では、「絶交」とは「仲たがいをして交際を絶つこと」(広辞苑第六版)である。前提として、すでに交際がなければ、本来、絶交はできないのである。第16巻で山根がフクベエに絶交を解いてくれと頼んでいるのは、その前に二人が親しかったからだ。


 ところが、いつの間にか”ともだち”が発する”絶交”は、第12巻198ページの山根の発言によれば、「”絶交”って相手を殺すって意味だっけ?」という符丁になった。しかしそれがいつ頃からだったのか、山根は明言していない。ただし、第12巻では”しんよげんの書”や超能力の話題の直後に出てくるので、同様に早くも少年時代からのことだろう。本気かどうかはともかく、すでにドンキー少年に対する”絶交”命令は、仲たがいをして交際を絶つという意味ではないだろう。

 言うまでもなく、”絶交”という用語は、”ともだち”という言葉とセットになっている。くりかえすが本来は、友達という関係を一方的に破談にするのが絶交だが、”ともだち”に特殊な意味を持たせた男が、”絶交”の意味も捻じ曲げて、しかも悪用・乱用の限りを尽くした。


 ”絶交”の初出は第1巻で、田村マサオがピエール師を刺す直前に「絶交だ」と叫ぶシーン、続いて、”ともだち”がピエール一文字師を「邪教の先導者」と表現し、”絶交”されたことを崇拝者たちに告げている場面に登場する。

 第2巻の93ページには、信者の一人が”ともだち”に、「このところ大勢の宗教家が宇宙の意思によって”絶交”されていますが、宇宙の意思は、それによって”ともだち”に何をさせようとしているのでしょう」と質問している。”絶好”しているのは宇宙の意思であって、”ともだち”ではないような言い方だが、それはともかく、ここでも”絶交”の対象は、他の宗教、「邪教」である。

 他方で、宇宙や宗教を離れた単なる殺人行為にも”絶交”という表現が使われる例は、第2巻に早くも出てくる。ヤマさんによるチョーさんの”絶交”である。その後は枚挙にいとまがない。このため、むしろ例外が目立つくらいだ。サダキヨはモンちゃんを撲殺したとき、”絶交”とは言わず、「自分の仕事」を全うしたと報告している。


 ドンキーの場合、第12巻の山根は、1971年の嘘を隠しておきたいからドンキーを”絶交し”、今度は自分を”絶交”しようとしているのだろうと語っている。ドンキーが知った嘘とは「トリック」のことだ。”ともだち”にとっては、ドンキーが自分の正体を見破らなければ、嘘がばれる心配もない。

 ところが、ピエール殺しのマサオは、高校時代、ドンキーの教え子だったと遺された奥様がケンヂに語っている。マサオの親から相談を受けて、ドンキーは”ともだち”探しを始めてしまった。嘘が露見する恐れが、現実味を帯びてしまったということだ。

 ドンキーが最後にケンヂに郵送した手紙によれば、未だ彼は”ともだち”の正体にたどり着いていなかったのだが、悪いやつらの行動は迅速であった。しかし、実行犯にマサオを任命した”ともだち”らの人選にも問題があった。マサオの恩師とは知らなかったのだろう。このためケンヂの調査はマサオの線から進展し、彼をして地球を守る決心をさせた。

 
 第14巻168ページ目、ドンキーが理科室の窓を開けて桟に脚をかけ、最後にもう一度、迫りくる”絶交”二人組を振り向いたとき、ヨシツネは理科室に飛び込んで「ドンキー!」と声を掛けたが、すでに少年の姿は宙に跳んでいた。ヨシツネがもう一度、「ドンキー!」と叫んだ時には、もう校庭の地面に下り立った音がしている。

 「こういう...こういうことだったのか」とヨシツネは言った。「ドンキーがその時見たもの」については、そのとおり。だが、とんでもない続編があった。現実のそれも無残なものだったが、ヴァーチャル・アトラクションにおいては、もはやアトラクションとかボーナスとか呼べるような代物ではない展開が待っていた。



(この稿おわり)



沖縄の海岸のマングローブ(2012年7月9日撮影)






その木の下でBBQ(同上)