おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

空気ポンプのスイッチ (20世紀少年 第419回)

 なぜか気になる水槽のスイッチの話に入ります。まずは第1巻のおさらい。第5話はその名も「理科室の夜」。ドンキーとカツマタ君の話題が出てくる。ヨシツネの証言によれば、カツマタ君の幽霊は、「夜な夜な理科室にバケて出て、解剖してるって話」だったらしい。夜な夜なとは、まめなオバケだな。

 モンちゃんは6年生の8月31日に水槽を洗う当番であった。自宅に戻ってから、水槽の空気ポンプのスイッチを入れ忘れたのに気付く。私見によれば、半日くらい空気ポンプが動かなくても、魚が全滅するとは思えないのだが、モンちゃんは先生に叱られるのが怖くて夜の理科室に行くことに決めた。


 モンちゃんがドンキーのお通夜の席上で語った思い出話の内容が、第1巻に描かれている。ただし、彼は怖くて校舎の外で待っていたのだから、ドンキーが校舎内で経験したことは見ていない。すなわち、(1)廊下で「誰?」と言って振り向いたこと。(2)水槽のスイッチを入れたこと。(3)その直後「何かを見た」こと。

 このうち、(3)はドンキーが飛び降りて逃げ出したのだから、何かを見たに違いないと想像もできるが、(1)は推測できるものではない。したがって、1年ほど前にこのくだりを書いたときは、作者がモンちゃんの知らないことも実際にあったこととして書き加えたのだろうと片づけたのだが我ながら苦しい解釈だなー。


 一方、(2)の場面はモンちゃんのセリフが付されていて、「あの時、確かにドンキーは理科室に入って、スイッチを入れた。」と言っている。この点についても1年くらい前に、次の日、魚が無事だったのでモンちゃんはそう思ったのだろうと書いた。だが、これも弱い。

 モンちゃんがいくら訊いてもドンキーが答えなかったのは、「理科室内で何を見たか」である。(2)と(3)については、ドンキーがモンちゃんたちに話したのかもしれない。少なくとも、水槽は大丈夫だよという、一番肝心な話は伝えたはずだと思うな。もしもそうなら、「確かにドンキーはスイッチを入れた」とモンちゃんが語る以上、ドンキーは自分でスイッチを入れたと言ったに違いない。


 次は第12巻。第7話「アルコールランプの下」。理科室にたどりついたショーグンは、暗闇の中に立つ人影に「誰だ」と問うた。相手は名乗る代わりに、「1971年夏、あの時ドンキーも、君らのようにこの理科室に入ってきた。そして、水槽の電源スイッチを入れた」と山根は言った。

 山根はフクベエほどの嘘つきではないと思う。それに、ここで嘘をつかないとならない理由も思い浮かばない。また、モンちゃんは仲間でだた一人、缶カラを埋めたことを覚えていた記憶力の持ち主である。誰がスイッチを入れたかについて、モンちゃんと山根という当事者二人の証言が同じであるというのは大きい。


 それではなぜ、第14巻ではスイッチがすでに入っていて、ドンキーは頼まれごとをせずに済んだのだろうか。来る必要もないのに来て、おまけに「悪の帝王」を見てしまったとは、まさに骨折り損のくたびれ儲けではないか。ヴァーチャル・アトラクションだから、これも”ともだち”の嘘か? 嘘なら、嘘をつく事情とは何か。それとも記憶違いか。

 仮に山根の証言さえなければ、先に理科室に来た3人の少年の誰かが、ポンプが止まっているのに気付いてスイッチを入れたという気楽な説も成り立つのだが(山根は生物部員だし)...。ここ2週間ほど、風呂の中や仕事に向かう電車の中などで、この問題についてあれこれ考え続けてきたのだが、ついに力尽きた。刀折れ、矢尽きた。


 例えば、モンちゃんは、やはり次の日に水槽が無事だったのでドンキーがスイッチを入れたと思い込み、山根は暗い理科室の中でドンキーがスイッチを入れたように見間違ったと強引な解釈をしても、それならば、実はスイッチが入っていたことにより、ドンキーの運命が大きく変わったという繋がりがなければ、第1巻と第12巻の思い出話は意味がなくなる。だが、この直後に起きた出来事は、そういう展開ではないだろう。ポンプのスイッチと「奇跡」は関係がないとしか思えない。

 次。仮に山根は、モンちゃんたちが語る「ドンキーがスイッチを入れた」という話を学校で聞いたとして、第12巻ではそれに合わせてショーグンと角田氏に事実と異なる話をしたが、実際には、彼か他の二人の誰かがスイッチを入れたとしたらどうか。それをわざわざ第14巻で描く必要はあるだろうか。


 モンちゃんがスイッチを入れ忘れた(または、入れたのにそれを覚えていなかった)のは偶然の出来事である。だから、仮にそれがなければ、フクベエと山根とナショナル・キッドのお面は、3人だけで「1回死んで生き返った」トリックの実演をする予定だったはずだ。しかし当夜、彼らはドンキーが一人で校舎に入ってくるのを確認した。

 だから作戦を変更して、彼を証人に仕立てることにしたわけだ。単なる身内だけの遊びから、証人付きの「奇跡」に変えようとしたのだ。3人はドンキーが理科室に入ってくるのを待ち受けていた。では、その企みにおいて、水槽のポンプは動いていないといけない理由でもあったのだろうか...? 分からん。


 残念ながら、この問題も先送りにせざるを得ないが、それにしても、これはヴァーチャル・アトラクションであり、「奇跡」の最後の部分に、フクベエによる「1971年の嘘」が仕込まれている。そして、理科室の夜は以上の三つの巻だけではなく、第16巻にも出てくる。

 第16巻の理科室の夜は、おそらく、実際にあったこととして作者が描いているか、あるいは、もう一人の”ともだち”の記憶のいずれかだと思うが、どちらにしても第14巻と微妙に違う。単に省略されているだけかもしれないが。そのうち比較検討してみたい。もうスイッチの謎は忘れて、物語に戻ろう。



(この稿おわり)



昔からあったかなあ、赤い紫陽花...(2012年7月2日撮影)





胡蝶蘭、一鉢(2012年7月9日撮影)