第16集の104ページで、給食スプーン曲げ事件を山根に絶賛されたフクベエは、「あんなことより、もっとすごいことができるよ」と言った。会話はそこで、サダキヨらしき少年が理科室に入ってきたため中断している。しかし、次のページから同じ話題で再開。桜の花散る里、1971年の春。彼らが6年生に進級する季節だ。
山根は「もっとすごいこと」の中身を聞かされたようで、「そんなことまでしなくたって」と少し慌てている。フクベエは”しんよげん書”に出て来たという理由だけで、「かれはいちどしんでよみがえるだろう」を実践してみせようとしているらしい。今度の夏休みに奇跡が起きるよと、背中越しに山根とナショナルキッドのお面に言っている。
このナショナルキッドがサダキヨらっしくなくと前回書いたのは、素朴な理由によるもので、引っ越したはずのサダキヨが、フクベエや山根と一緒に登下校するはずがないからだ。この場面以降のナショナルキッドは、例えば一緒に”しんよげんの書”を書いている場面なども含めて、サダキヨではないという感じがする。
この桜の散る場面は、お面がどちらの子でも構わないのだが、次の夏休み最後の日のシーンでは、そうもいかない。山根がロープ持参で、ナショナルキッドと一緒に服部家を訪問、さあ行くぞというときになって、釣りズボンに蝶ネクタイの万丈目が現れた。名刺まで差し出している。商談であった。
彼の名刺には、「ミリオン興業 チャック万丈目」とある。肩書も法人格もなしか。いかにも怪しい。住所は例によって千代田区一ツ橋、小学館の近く。後に分かるが、フクベエはこのとき受け取った名刺を、その後もずっと持っていたらしい。万丈目はイギリスの科学雑誌を引っ張り出して、「脅威の手品、スプーン曲げ」という記事を読み上げている。
フクベエは不満そうな顔であり、山根が「手品じゃないよ」と代弁している。しかし、気にするような万丈目ではない。秋に見せたフクベエのスプーン曲げは彼にとって本当かどうかなど問題ではなく、とにかく「興業」になれば良い。「俺と組まないか」と万丈目は言った。
黙って立ち去るフクベエに、返事はすぐじゃなくても良いからと言っている。ここでは山根が雄弁であり、「あんなことより、今夜もっとすごいことが起きるんだ」と自慢している。万丈目は電話を待っているぞと少年の後ろ姿に声を掛けている。実際、後日、電話をしたらしい。こうして二人の人生は狂い始めたのだ。
このあとの万丈目の行動は、第14集のヴァーチャル・アトラクションに出て来た。喫茶さんふらんしすこに行き、「金のなる木」を見つけたと大張り切りの興行主であった。そして、私の推測に誤りがなければ、その晩の「もっとすごいこと」をそつなく見物に行っているはずである。
この場面に続く夜の理科室での出来事は、第14集のヴァーチャル・アトラクションでヨシツネが「こういうことだったのか」と感想を述べたものと比べ、ドンキーが飛び降りるまではほぼ同様である。ただし、適宜カットされている。
例えばドンキーが「トリックだ」と言った後で、ナショナルキッドが「僕も、そう思ってた」というシーンが省略されているので、あたかもフクベエがドンキーに、「いいのか、そんなこと言って」と直接言っているかのようになっており不気味である。
かつて私は、ドンキーが「絶交」されたのは、マサオの行方を追っているうちに”ともだち”の正体に近づきすぎたからだろうと書いた覚えがある。だが、第12集において山根は、「嘘をつきそこなった」のをドンキーに見られたので「絶交」したと言っている。ただし、ドンキーは首吊り劇の最後の最後まで見ていない。
ドンキーは「トリック」を見破ったのであった。この点、山根の表現は正しいのだろう。ドンキーは失敗を見たのではなくて、嘘を見抜いたのだ。だが、そのために絶交されたという山根の解釈は正しいのだろうか。もしも、本当にそうだったとしたら、すでにこの夜の理科室において、事態はドンキーにとって取り返しのつかないことになっていたのだ。ケンヂは何も知らずに、風邪を引いて良い夢をみている。
(この稿おわり)
新潟から群馬への山道にて
「よおきたのし」の大歓迎
(2012年8月10日撮影)
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