おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

夜の廊下にいたのは誰か? (20世紀少年 第413回)

 前々回で挙げた疑問点三つのうち、前回までに(1)の5人目についての検討を終えたので、今回は(2)のドンキーが校舎の廊下で気配を察した相手は誰かという問題に取り組みます。今回は(1)と比べて、まだしも自信を持っても良さそうな感じなので、結論から先に述べる。1971年の万丈目であろう。

 第1巻には、この件についての情報がほとんどない。その110ページで、立ち止まったドンキーが「誰?」と言っただけだ。返事はなく、少年はそのまま理科室に向かう。前に書いたが、廊下および理科室での出来事を、モンちゃんは直接、見てはいないので、彼はドンキーから、理科室で見た恐るべき何か以外の事柄(廊下で振り向いたとか、スイッチを入れたとか)を聴き出したのか、作者が補足したかのいずれかであろうと考えた。第1巻はこの程度の推測で止めておく。

 
 他方で第14巻では、もっと詳しく描かれているので、こちらに集中します。148ページ目でドンキーは廊下で立ち止まり、中空にかかる三日月を見上げている。あの月面には星条旗が立ってんだ。いつか僕もあそこに。そう語った後で彼は後方を振り返り、幸い誰も何もいなかったが、「さっきから、誰かついて来ているの知ってるよ」と暗闇に向かって声をかけている。

 さらに、人類が科学の力で月に行った(正確には、科学の力に加えて、蛮勇と幸運による。アポロ宇宙船のコンピュータは、自動車のカーナビより性能が劣っていたと、アメリカのABC放送だったかが15年くらい前に報道している)と述べ、ついては、「オバケなんていやしないんだよ」と言い切っている。

 ドンキーの両足が汚れて見えるのは、学校の廊下が汚いからではなくて、97ページの絵で分かる通り(それにしても靴の数の多さよ)、この裸足の帝王は自宅を出るときから裸足だったのだ。貴重品の靴は、たぶん登下校のときなどに限り使っていたのだろう。この気持ちは分かりますね。一番大切な靴は、昔も今もシンデレラも「勝負」のときに履く。


 第14巻の169ページ目、ドンキーが理科室の窓から飛び降りた直後、廊下から入ってきた男が、「で、どうなる...。これから、まだ続きがあるんだろ?」と言って、ヨシツネ達を驚かせた。2015年の老年の万丈目である。続けて、「これから起こることを、俺に見せたいんだろう? それとも、これも事実とは違うのか?」。これらのセリフの相手は全て、天井からぶらさげたロープで首を吊ったまま「生きている」、ヴァーチャル・アトラクション(VA)内のフクベエ少年だ。

 しかし、空中のフクベエは薄ら笑いを止めない。それを見て、万丈目は言い方を変えている。「私は知っているんだ、これから何が起きるか」、「もういい、もう嘘をつくのはやめろ。本当に起こったことを見せろ」。万丈目だって嘘つきだが、ここでは彼が嘘をつく理由が見当たらない。彼は本当に起こったことを知っているのだ。


 本当に起こったことが何だったのかは第16巻で読むとして、ここでは万丈目が、どうして本当に起こったことを知り得たのかである。フクベエが作ったVAの中に、本当のことが全てそのまま再現されているのではないことを万丈目は知っている。仮に当夜の目撃者である山根から真相を聞いたことがあったとしても、こうも自信満々ではいられないように思う。

 実際に1971年、万丈目はロープを抱えた3人の少年たちの行動が気になり学校まで追跡し、廊下ではドンキーには気付かれたが無視されたのを幸い、理科室まで忍び寄って一部始終を見ていたと考えるのが、一番自然であるように思う。何せ「金のなる木」だし、今夜もっとすごいことが起きると山根に言われているから(これは第16巻にある)、興味津々で見物に来たのだろう。


 この説の欠陥は、現実の理科室周辺にいたはずの1971年の万丈目が、第14巻でも他の巻でもVA内の理科室の夜に登場してこないことである。このため、ドンキーが気配を察した相手は誰でも良いとも言い得るし、あるいは、ドンキーの気のせいであっても困らないという論までも成立してしまう。でも、それでは面白くない。

 VA内の中年の万丈目も、喫茶さんふらんしすこを出てから夜の理科室に向かったはずだ。廊下でドンキーが気付いたのは、中年のほうかもしれないし、老年のほうかもしれないし、ヨシツネとコイズミかもしれないが、ともあれ中年の万丈目は、変な老人が廊下をコツコツと歩いてきたのに驚いて身を隠していたのであろうか。


 第18巻、1980年に万丈目は再びハットリと組んで、一旗揚げることになった。”ともだち”をワイヤーで天上から吊り下げているのだが、明らかにそのインチキを小馬鹿にしている様子である。「本当に起こったこと」の顛末を知っていれば当然のことだろう。

 ところが驚いたことに観衆も、傍らにいる西岡豊も、本当に宙に浮いていると信じている。スプーンを使った最初の「金のなる木」計画は頓挫したが、今後こそ本物の「金のなる木」の手ごたえを感じたことだろう。その後の彼は位人身を極め、俗世の栄達と懶惰な日々に酔った。だが遅れてやってきた副作用も強烈だったのだ。

 さて、以上の(2)の検討では、第7話をすっ飛ばして、第8話の内容を先取りしてしまった。もう一つの疑問、(3)のスイッチ問題が残っているのだが、その件は更に先の第9話に出てくるので、まずはページ順に従って第7話の「1971年の理科室」に戻り、ユキジ、オッチョ、カンナの動向を追うことにしましょう。



(この稿おわり)




小ぶりだが色鮮やか(2012年6月29日撮影)




沖縄の空(2012年7月8日撮影)