おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

約束する...ドンキー (20世紀少年 第439回)

 十数年前に散歩して歩いた懐かしいロンドンの街を、男子マラソンの選手たちが駆け抜けて、オリンピックが終わりました。日本時間で今朝行われた閉会式には、このブログでも名を挙げたブライアン・メイ、ペレ、ロジャー・ダルトリーピート・タウンゼントが元気な姿を見せてくれて嬉しい。

 それにしても、ピート・タウンゼントのプレイ・スタイルは、ウッドストックのころと全然、変わっていないじゃないか。まさかお行儀も変わってないのでは。ちょうどザ・フーの演奏中にNHKの中継時間が終わってしまったので、最後まで観られなかったのだがギターを壊していないだろうなー。心配である。



 第14巻の222ページにおいて、カンナはドンキーに対し、「夕べ、あなたは死んだら無になると言ったでしょ」と、ちょっと厳しめに語っている。無にはならないとカンナは反論し、これは科学とは関係のない話だと断ったうえで、「人は死んでも記憶に残る」と言った。

 カンナは、もちろんケンヂおじちゃんのことを言っているのだ。そしてまた、ドンキーも彼女の記憶に残ることだろう。そう語る彼女の左手は胸に置かれ、心臓のあたりに触れている。サイエンスの対象ではなく、心の問題だといっているのだ。しかし、ドンキーは「うん」と同意しつつも、「それは科学的だね」と答えているから、彼は脳の機能のことを考えているのだろうか...。


 ドンキーの少年時代はもちろん、現代になっても科学はまだ、記憶のメカニズムを解明したとは、とても言えない状況にあるらしい。先日たまたま読んでいた雑誌に、記憶に関する生物学者のコメントが載っていたので読んだ。

 それによると脳細胞も、新陳代謝をすることに変わりはないらしいから、もしも、或る分子の中の何かが或る記憶をとどめているだけでは、その分子やその部品が廃棄物になった段階で、その記憶は消えてしまうことになるが、われわれは遠い昔の記憶を数多く保っている。


 となると、個々の分子が記憶の貯蔵庫なのではなくて、分子同士のつながり方、からみ具合により、記憶は留められていると現時点では考えられているらしい。そうすれば、分子ひとつが交代しても配列が不変なら記憶は残る。その繋がりを分断すれば記憶は消える。

 なんだか分かったような分からないような話だな。文字を上手く並べると意味のある文章になりますという説明と同じような程度のものだと思います。


 ところで、前にも少し触れたが、カンナは夜の理科室で、死んだら無になるとドンキーが語ったのを聞いたと言っている。ヨシツネやコイズミから、その話を聞くような余裕はないから、自分で聞いたのだ。

 したがって、カンナはこのドンキーの台詞に続く山根による奇跡の話、ドンキーとナショナル・キッドによるトリックの話、フクベエの「いいのか、そんなこと言って」および「絶交だ」という一連の発言を、どこか近くでじっと聴いていたことになる。


 カンナが理科室に駆け込んできたのは、ドンキーが飛び降りて、ヨシツネが「こういうことだったのか」とつぶやいた直後である。カンナは万丈目と正体不明の光点が理科室に急行しているのを見て、緊急事態と判断しヴァーチャル・アトラクションに急きょ侵入したのだが、理科室到着の直後にヨシツネに危険を知らせたのではないということになる。

 結果的に、万丈目もマスクの男もフクベエにしか関心がなかったし、三人とも無事に戻れたから良いものの、厳しい見方をすれば、ここでもカンナは危うくヨシツネとコイズミを「巻き込んで」しまう恐れを自ら招いていたということになる。絵に描いたような結果オーライであった。


 記憶論でようやく気の合った二人だが、ドンキーは「じゃあね、もう帰らなくちゃ」と言った。カンナの頭上にお月様が輝いている。ドンキーは二日連続で夜遅くまで外を出歩いているのだ。母ちゃんに叱られてしまう。立ち去ろうとする少年の背に、大人になったらやっぱり宇宙飛行士になりたいかとカンナは訊いた。

 ドンキーが、僕は理科の先生になりたいんだと答えると、カンナは「きっと、なれるよ」と嬉しそうに声を掛けている。第14巻第12話のタイトルは「少年と夢」。ドンキーは念願を果たすが、残念ながら、夢をかなえたのはドンキーだけではなく、フクベエや山根も同様であった。


 カンナは「そして、正義の味方にも。」と付け加えた。然り、相手の正体こそ突き止めきれなかったものの、ドンキーはチョーさんと並んで最も早いの段階で、悪の帝王に向かって立ち上がった初期の正義の味方の一人である。「じゃあ、お姉ちゃんも正義の味方になってよ」というドンキーの返答に、カンナは即答できなかった。父の内面を直視させられた傷心の少女でもある。

 最後に「約束だよ」と念を押して、少年は裸足で夜道を駆け去った。ひとり残されたカンナは月を仰いで、「正義の味方か...」と呟き、おそらくその途端に決意は固まったのだろう。操作室では、カンナがアトラクションから脱出したことを確認した。「正義の味方、約束する...ドンキー」とカンナは言った。第15巻にその約束を果たす場面が出てくるが、それは先のお楽しみだ。


 これで第14巻の終わり。最後に、もう一度、気になった宿題を思い起こす。「ドンキーがその時見たもの」は、あとになって確かに分かった。それでは、「でも、そのときにはもう事態は取り返しのつかないことになっていた」という事態とは何か、取り返しがつかないのは何故かを考えておきたい。

 この第14巻終了の時点で、”ともだち”の正体だったフクベエの死が確認されたが、その残党は世界各地にウィルスをばら撒き始めている。それは2000年の細菌兵器よりも、更に強力であるという。まっしぐらに人類は滅亡に向かっており、それを技術的に食い止め得る、頼みの綱のキリコの行方も杳としてしれない。これが第14巻時点での「事態」。


 そしてそれが、更に悪化することが第15巻で分かる。多くの人命が失われたという点においては、確かに取り返しは付かない。「しんよげんの書」は実行されたのだ。人は死んでも親しい人の記憶に残るが、それだけのことで本人は戻らない。

 だが考えようによっては、取り返しがつかない事態が進行し始めたのは、”ともだち”の側かもしれない。それは、続きを読みながら考えます。この感想文を書き始めてから14か月で第14巻まで来た。まだまだ先は長い。



(この稿おわり)



宮古島にてアカウミガメと泳ぐ。(2012年7月12日撮影)




隅田川花火大会(2012年7月28日撮影)




















































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