おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

雨の中華街 (20世紀少年 第414回)

 
 第14巻の119ページ目、レインコート姿のユキジが雨の中、携帯電話片手に怖い顔で「だめだわ、つながらない」と呟いている場面が出てくる。彼女が話そうとした相手はカンナだったのだが、このとき命綱関係で取り込み中だったカンナはケータイどころではなかったのだ。

 ヨシツネとカンナがコイズミを連れてヴァーチャル・アトラクションに向かい、マルオが北海道に飛んだあと、ユキジはおとなしく秘密基地の留守番でもしているのかと思っていたら、とんでもない間違いであった。彼女は道場の教え子を率いて、中華街に逃げ込んだという間違いないないとの情報に基づき、「新巻鮭の男」すなわち例の森園を追跡し、捕えんとしていた。新種のウィルスの情報を握っている男である。


 ユキジに同行中の教え子によると、この中華街は入り組んでいるが、出口は三か所しかないので、そこを押さえておけば必ず捕捉できるとのことである。中華街といえば横浜が有名です。私も何回か歩いたことがあり、確かに入り組んでいるかもしれないが、出入り口が三か所なんていう狭さではない。

 ユキジが見張る中華街は横浜とは別物であり、あるいは歌舞伎町の中国マフィアが巣食っている街ではなかろうか。珍さんの店でカンナがバイトをしていたのも、遠い昔の出来事のように感じる。本物の歌舞伎町には、最近、行っていないので様子が分からないが、1908年代の半ば、新卒の若き会社員のころ、よく映画を観に行った歌舞伎町はすさんだ感じだったが、後年、イメージが変わった。

 一言でいえば、赤と黄色のいかにも中国人が好きそうなネオンに彩られた煌びやかな繁華街に変貌した。20世紀から21世紀に移る前後だったか。そのころの歌舞伎町を舞台にしたのが馳星周の「不夜城」である。小説はもちろん、漫画も映画も、とにかく凄いぞ。


 ユキジは、ヨシツネたちとは別の方法で、”ともだち”の核心に迫ろうとしている。だが相手の動きが見えないため、出入り口の見張りは教え子に任せて、彼女は「奴を外にあぶりだす」べく街中に足を踏み入れた。教え子は「ムチャなさらないように」と気遣っている。普段カンナにムチャするなと口うるさいユキジだが、一般人から見れば十分ムチャなのだ。

 彼女は教え子に、あなたこそまだまだ白帯なんだからと言い返している。なお、この台詞で初めて、彼が教え子であることが分かる。そして、ユキジの闘いには道場の教え子たちも参戦していることを読者はここで知る(もっとも、人海戦術が必要となった今回こそが、初陣だったかもしれない)。


 私が小学校6年生のときのクラスには「学級の歌」が複数あり、そのうちの一つの歌詞に「21世紀、僕のもの」という一節があったのを今も覚えている。実際には、21世紀が私のものになる気配もないけれど、そんなことより、これを唄っていた1971年ごろ、21世紀という言葉は確かに、輝かしい未来を象徴するかのような「特別な響き」があった。
 
 雨の中華街を歩くユキジも、同じことを想起しつつ、そんなものは「あっという間に消えちゃったのよ、ケンヂ」と、人ごみに揉まれながらの独り言。彼女は21世紀をケンヂと共に歩めない。それどころか、自分たちを悪者に仕立てた組織が今も君臨し、再び世界中に病原菌をばら撒き始めている。


 そのときユキジは見た。後に分かるが、それは高須が見たのと同じ顔をした男であった。21世紀という言葉の輝かしい響きをかき消した張本人であり、しかもつい先日、死んだはずの男が歩いている。まさかと叫びつつ、ユキジは通行人を蹴散らしながら雨の中を走った。ついに男のを見失い、足を止めた街角で、彼女は後ろから肩をつかまれた。

 私はあまり柔道に詳しくないのだが、その技の名前の響きが粋な感じだという、ただそれだけの理由で、袖釣り込み腰が好きである。テレビ観戦の柔道でこの技を使って勝つ人を見るたびに、これぞ達人に違いないと確信する。ユキジは条件反射的に相手のレインコートの袖をつかんで投げようとした。


 意外なことに相手は、「まて、ユキジ、俺だ」と言った。ユキジの後ろから声もかけずに肩に手を置くこと自体、オッチョの失態であろう。新大久保でカンナと別れて以来、何をしていたか不明であるが、この男は相変わらず単独行の加藤文太郎のごとく、一人きりで歩むべき道を歩んできたのだろう。

 今夜は驚くことばかりのユキジである。「お前に投げられたら、俺だってひとたまりもない」と相変わらずオッチョはハード・ボイルド風に落ち着き払っている。しかし、「なぜここに」とユキジに訊かれた彼の表情が引き締まる。「信じられない人間を街で見かけて、ここまで追ってきた」とオッチョは言った。

 「おまえも見たのか。奴を」という簡潔な表現で十分に通じる質問に、ユキジは首を縦に振った。もしもオッチョやユキジに、こんなところで捕まったら最後、並みの拷問程度では済まなかっただろうなあ。つくづく悪運の強い「奴」であった。さて、そのころカンナも一大事を迎えている。 




(この稿おわり)




本物の歌舞伎町で、うろうろ写真撮る勇気もないので。
(2012年6月29日)





アラマンダの花(2012年7月8日、宮古島にて撮影)