おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

粛清か? (20世紀少年 第380回)

 このブログでは、せっかくの機会なので難しい言葉とか、歴史に残るような出来事が話題になるときは、辞書やネットで念のため調べてみることが多いです。何十年も勉強や仕事や読書をしてきたのに、案外、言葉の意味、出来事の内容をいい加減に解釈していることが少なくない。

 第13巻の104ページで春さんが「粛清がはじまったのかもしれない」と言っている。辞書を見れば「粛正」と「粛清」が並んでいて、前者は綱紀粛正などと用い、不正をただすこと。後者は広辞苑によると、「不正者、反対者などを厳しく取り締まること。独裁政党などで、方針に反する者を排除すること。」とある。


 私が「粛清」という言葉で持つ印象は、この説明の後半部分、すなわち独裁政権で行われる殺し合いのような物騒な流血沙汰である。洋の東西を問わず、この手の粛清は枚挙にいとまがなかろうが、東の横綱は漢の建国後の劉邦、西の横綱フランス革命のロビスピエールというのが私のイメージだな。我が国では、徳川政権に改易(お家断絶)という陰気な粛清方法があった。

 友民党に何が起きたのか。春さんが粛清の血の匂いを嗅いだのは、三ツ木元大臣の交通事故死であった。次の訃報は120ページで幹部の一人、西岡豊氏の死因が自殺と断定されたという報道であった。先ほどからコイズミは真剣なまなざしで、テレビの友民党関連ニュースに見入っており、「キャラをはき違えている」と友達にからかわれている。周囲の理解が得られないという点で、学校でのコイズミは1997年のケンヂの孤独な立場に似ている。


 そのあとで高校生の話題は高校生らしくエロイム・エッサイムズの近況に移るのだが、しかし、悪魔系バンドは何とテレビのバラエティ番組に出て水中ジェスチャーだの罰ゲームだの、コイズミがしばらく見ない間に(ニュー・イヤーズ・ライブはヨシツネに阻止されている)、道を踏み外したらしい。

 意気消沈のコイズミだが、続いてテレビはこれでもかと小向興三幹事長の急死を伝えて、再びコイズミを慄然とさせている。死因は心不全。ある程度の年齢のかたであれば、10年くらい前までは、心臓病で亡くなった人の死因は「心不全」がごく一般的であったことをご記憶かと思う。


 ところが、世界保健機構(WHO)が病名・死因の分類に使っているICD-10という国際的な基準が、この第13巻あたりが連載中だった2003年に改定された。これを受けて日本政府は「死亡診断書記入マニュアル」というすごい名前の資料を公表しているのだが、その中に、心不全や呼吸不全は亡くなる前の「状態」であって「病名」ではないので、医師に対して、死因の欄に「書かないでください」と明記している。

 確かに死ぬ直前は、たいてい誰でも心不全で呼吸不全であろう。私はそれが死因でも一向に構わないと思うのだが、世界の医療関係者はどうやら違う考えを持っているらしい。

 この方針変更は、より詳しい統計を取るためで、もちろん医学・薬学に統計は極めて重要だが、おかげで有名人や社内連絡の訃報を読むと、死因の欄に聞いたこともないような、おどろおどろしい病名が載るようになってしまった。たまに肺炎とか胃がんとかを目にすると、語弊があるかもしれないが、ほっとする。


 漢やフランス革命は歴史にしっかりと記録が残っているが、ソビエトや中国の共産党の内部で起きたと言われる粛清については、どうやら殆どブラック・ボックスのままのようであるらしい。あまり触れたくもない。では、友民党はどうか。以上の3名は、交通事故、自殺、心臓病であり、彼らの年齢および”ともだち”の死で受けたショックを考えれば、不自然な死因ではないように思う。報道が嘘でなければ。

 でも、立て続けに3人、しかも、筆頭幹部ばかりとなると、これが起きる確率は(こういう計算はアメリカ人が大好きなのだが)、割り算の分母には天文学的な数字が登場するだろう。しかも、このあと逃亡する幹部も出て、捕まっては”絶交”されていることをみても、これは粛清以外の何物でもあるまい。

 
 では、誰が発令したものか? やはり万丈目か? このあとで読者は”ともだち”のコピーが登場して、フクベエとすり替わるのを知っているのだが、万丈目はどう見てもそれに気付かなかった。この時点で、仮にコピーが独断で粛清を実行したならば、万丈目は当然、身の安全を図る側に立たされているという恐怖を抱いて不思議ではないと思うが、そういう気配はない。当面は、当初のシナリオ通りということで身を任せている感じがする。

 春さんが指摘した裏切りと権力闘争という観点からすれば、三ツ木元大臣の「もう終わりにしましょう」という発言は”ともだち”に対する裏切りそのものであろうし、西岡と小向の言動は万丈目に対して敵対的であった。だが、この時点においても、その後においても、私が読んだ感じでは万丈目は、それほど強く”しんよげんの書”の実現に固執しているとは思えない。


 もともと万丈目という男は狂信者でも何でもなく、浮世で威張って贅沢に暮らしたいという俗物の権化のような男であるというのが私の解釈。そうなると、最終的な許可は万丈目が下したのだとしても、粛清を発案した者、あるいは実行した者は、もっと狂信的で行動力のある人間ということになるまいか。証拠はないけれど、実績とこれからの展開からして高須と13番が怪しい。この連中なら幾ら疑っても罰は当たるまい。

 さて、さすがのコイズミも気分が悪くなった。席を立ちながら、こんなテレビのないところならどこでも良いと言っている。他の二人は渋谷のセールに誘うが、コイズミは人ごみの中に出るのは嫌だと断ったらしく(渋谷の繁華街はセール中でなくても、私は行きたくない)、トモコさんに同行することになった。今度はヴァーチャルではないリアリティが待ち受けている。



(この稿おわり)



その昔、東京には府立・都立の第四中学校というのがあったらしい。
(2012年5月28日撮影)



そのそばにある納戸町公園のツツジ(同日撮影。いずれも新宿区)