おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

修羅場どころか (20世紀少年 第381回)

 トモコさんとコイズミが鉄道沿線を歩いている。メゾン・アナスタンが世田谷にあることは後にニュースで報じられているので、これは京王線世田谷線か。東大久保から歩いてくるのは、ちょっときつい。写メールに水着の女(どう見てもポスターだよ、トモコさん)が写っているというのを唯一の根拠として、トモコさんは井川さんの浮気を疑っている。

 コイズミは全くやる気がなく、「しらないほうがいいことってあるよ」と力ないアドバイスを送っているが、トモコさんに「冗談じゃない!!」と一蹴されている。しかし、コイズミの「ここんとこ生きた心地がしない」という心境も気の毒だな。ヨシツネの秘密基地は不便だったかもしれないが、周囲に心強い仲間が何人もいた。自宅と学校では無防備だもんね。


 アパートに到着。私が世田谷に暮らしていたときもそうだったが、あのあたりの小さな単身世帯向け集合住宅は、1階が管理人室とごみ収集所になっていて、2階以上が住居になっているものが多い。低層階は階段で昇降する方が早い。ここも同じ構造になっているようで、トモコさんは「小泉、カモン」と背中で命じて、階段を上っていく。

 行きたくもないコイズミだが、親友トモコさんには第7巻や第10巻で、ずいぶんお世話になっているので無碍にできないのだな。「修羅場になったら、なんとかしてよ」と頼まれてしまい、嫌々ついていくことになった。さて、修羅場とは何か。現代の日常用語では、このように三角関係が破たんするような騒動の場面の比喩としてよく使われる。


 私は宮沢賢治の作品がどうも苦手である(普通に漢字変換すると、宮沢ケンヂになってしまう)。単に嫌いな作家なら無視すれば良いのだが、彼の作品を読むと、その言葉使いや筋に付いて行きにくくて往生する一方で、直観的に「この人は俺にとって何かとても大切なことを語っている」という感覚がどうしても抜けない。

 ここで宮沢賢治論を展開すると切りがないので、手元の本にある「春と修羅」という詩だけ先ほど読んでみたのだが、やはりよく分からん。繰り返し、「おれはひとりの修羅なのだ」という文が出てくる。修羅とは何か。広辞苑(一部略)によると、「①阿修羅(あしゅら)の略。②あらそい。闘争」。


 阿修羅といえば、興福寺の阿修羅像である。奈良に行くときは、必ず国立博物館に立ち寄り、阿修羅と天燈鬼・龍燈鬼を拝観するのが私の習わしである。あの阿修羅像はその穏やかなお顔からして、仏教の守護神に変身してからのお姿ではないかと思うが、もともとはインドの乱暴な神であった。

 特に印度神話の雷神・軍神であるインドラとは仲が悪く、戦ってばかりいたので修羅場という言葉ができたらしい。古く太平記などに出てくる修羅場は「しゅらじょう」と読んでいたらしい。その後、浄瑠璃・歌舞伎・講談において、「しゅらば」に転化したそうだ。ちなみに宿敵インドラも仏教に取り込まれて帝釈天となった。寅さんが産湯をつかった柴又の帝釈天は、御前様の職場でもあった。


 トモ子さんとコイズミが目撃したのは、修羅場どころか地獄絵であった。井川さんが血を流して床に倒れている。コイズミは何とか気を取り直し、携帯電話で救急車を呼ぼうとした。しかし井川さんの携帯は電池切れ、トモコさんは動転したまま、自分は携帯を忘れてきたとあって、コイズミは隣家のドアを叩いた。

 そこには別の人が同じ有様で倒れている。コイズミは血の大みそかのとき、まだ3歳ぐらい。当時その惨状を直接、目にしてはいない。これまでも散々な目に遭ってきたのだが、流血の現場は初めてだろう。「何これ? このアパートの人、全員が!?」とコイズミは言った。だが、全員ではなかった。


(この稿おわり)



てっせん(2012年6月10日撮影)