バーチャル・アトラクション(VA)の中でヨシツネに使命が下ったころ、ともだちランド内のVA操作室において、異変が察知されている。エンジニアの彼によれば、外の端末から何者かがVA内に侵入し、しかも凄いスピードでヨシツネとコイズミに近づきつつある。
報告を受けたカンナは、命綱を握っている責任上、終了するかどうかの最終判断を下さなければならない。「誰が入ってきたの?」とカンナは途方に暮れる。しかし、第14巻の130ページ目、VAのステージ上に残されたヨシツネの「本体」が、「万丈目」とつぶやいたため、正体だけは知れた。その後の更なる急展開は後に譲る。
ここで万丈目が急接近してきた理由は、2回に分けて描かれている。今日はその1回目だけ軽く触れて、2回目は後日、「喫茶さんふらんしすこ」(懐かしいね)のシーンで語ろう。万丈目は奇しくもヨシツネとコイズミと同じ日にVAに入った。そして、VA内でも二人と同じ日の同じ町に降り立った。
79ページ目で万丈目は、「久しぶりだな、この街も。あのころ私も若かった。」と言っている。矢沢永吉の「ウィスキー・コーク」を思い出す。俺たち若かったよな。いつも何か追いかけてた...。
現実の世界では悪事に忙しくて、足が遠のいていたというのは分かるが、この言い方だと万丈目はVAでこの街に来たことがなかったようにも思える。なぜ気になるかと言うと、1970年の嘘だの1971年の嘘だのと、内情に詳しい割りに変だなと感じたのだ。それだけです。
そんなことより、次のページでガッツボウルを見上げている万丈目の驚き振りが尋常ではない。これが建っているということは、本当の1971年?。「見なくちゃいけないのか? 真実の1971年を?」と驚愕しているのだ。彼がVAの操作方法を知らないとは思えないので、意識して「1970年の嘘」、すなわち新聞の日付は1971年だが、中身は首吊り坂の事件や秘密基地がある本当は1970年を舞台にしたステージに来たはずである。そうでなければ、こんなに驚くはずはあるまい。
意識してきたのではないという説は成り立たないだろう。それならば、この時点ではボウリング場が建ったあとのいつか、ということしか分からないのだから、驚くのは西暦を確かめてからのはずだ。万丈目の驚きは二重構造だろう。前回のコイズミと同じ「1970年の嘘」に来たつもりなのに、真実の1971年に来てしまったこと。そして、その原因は操作の誤りか、システムが変わったのか不明であること。
それに加えて、もしあるとすれば、こちらの驚きのほうが大きいと思うのだが、そもそもVA内に、真実の1971年があったことすら知らなかったのではないか。フクベエが「1970年の嘘」をつかなければならなかった理由は、第16巻で詳しく描かれるが、本当は大阪万博に行かなかったのに、行ったことにしたという5年生のときの嘘を、生涯貫き通して、「ばんぱくばんざい」と言い続けなければならなかったからだ(と私は思うし、他に思い当たる節がない)。
他方で、「1971年の嘘」は、無かったことを有ったことにした「1970年の嘘」とは正反対で、有ったことを無かったことにしたくて出たはずの嘘である。第12巻で山根が忍者ハットリくんのお面に向かって「君は嘘をつきそこなった」と表現したこと、すなわち、これも第16巻に出てくる失態のことだ。このトリックの失敗は絶対に隠蔽しなくてはならない。なぜか万丈目と高須は二つの嘘を知っていたが、知っていることを”ともだち”に知られることを恐れたほどの極秘事項だったのだ。
したがって、VAの設定は誰が操作しても、1971年8月28日から29日にかけての夜に行けば、新聞の日付を1年ごまかした首吊り坂のテルテル坊主を見ることになるはずだし、1971年8月31日に行けば、理科室の夜の事件は、フクベエの「復活」が当初の計画どおりに終わるように作られていたはずだ。VAの設定上はわずか2日違い。秘密基地はそのままだろう。
しかし、万丈目が驚いたことに、彼はコイズミや他の少年も経験した首吊り坂の日を選んできたつもりだったのに、ガッツボウルが建っていた。VAのステージ設定が追加または変更されたとしか考えられまい。もはやフクベエは死んで、嘘をつき続ける必要も能力もないのだが、かと言ってVAの嘘は彼の死後も、そのままであって不思議はない。ところが最近、誰かが修正したのではないだろうか。
最後にもう一つ。万丈目は、「”ともだち”の頭の中を知る唯一の方法」としてVAに入った。なぜこのステージを選んだのか。これは考えたけれども分かりません。そもそも読者はVAの中にどのようなステージがあるのか、ほとんど分からないのだから仕方がない。コイズミや他の研修生が経験したように、いわば定番コースとして「くびつりざか」は設定されていたのかもしれない。ヨシツネとコイズミもそれに乗って来たかな。万丈目は薬物依存中の頭で取りあえずそれを選んだのか。VA内ではトリップ中に見えないが...。
それにしても、万丈目はフクベエ死後の対応を考えあぐねていたのだから、フクベエの少年時代の頭の中を知っても、それほど役に立たないと思うのだけれど、どうなのだろう。もっとも、すべては「子供の遊び」なのだから、第18巻に出てくるフクベエが誓ったという「世界制服と人類滅亡計画」の立案のいきさつについて調べるならば、少年時代を訪問するのも一理あるのかもしれない。ともあれ、この日は万丈目自身の「終わりの始まり」の記念日になった。
(この稿おわり)
昭和時代の一般家庭の時計は、ぜんまい仕掛けであった。
止まるとネジを巻かねばならず、子供の私はその仕事の担当者であった。
時計はよく遅れた。時計が示す時刻は正確ではないと疑っておく必要があった。