おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ともだちマスク再考 (20世紀少年 第425回)

 メキシコ・オリンピックでは祖父とともに、7歳だった私もチャスラフスカを応援したのをよく覚えている。それから間もなく、ソ連は戦車隊を発動して、チェコスロバキアに軍事侵攻した。それをニュースで見た私は「チャスラフスカの国に何をする」とガキのくせに怒った。当時、正義の味方だったのである。

 今次のロンドン大会の開幕式のテレビ放送で、過去のオリンピック選手の写真がたくさん出て来て懐かしかった(もっとも、ほとんど欧米の選手だったような気がするけれど...)。その中でも、モントリオールと聞くだけで今もその名を思い出すナディア・コマネチの演技は忘れられない。


 もっとも、彼女が10点満点を連発して以降、女子体操は極端な軽量化が進んだ。信じがたい話だが、かつて女子選手に成長抑制剤を投与していた国もあると雑誌の記事で読んだことがある。この風潮に対し、チャスラフスカは決然と「体操競技はアクロバットではない」と抗議している。

 例外のない規則はない。ロサンゼルス大会のメアリ・ルー・レットンは見ているだけで楽しくなるゴムまりのような躍動感と笑顔で人気をさらった。もっとも、彼女はチャスラフスカ的ではなく、男子的である。その点、今大会の田中理恵は久しぶりに応援し甲斐がある逸材である。彼女はとてもエレガントだ。


 物語に戻る。1980年のフクベエは21歳ぐらいだが、第2巻におけるチョーさんの捜査結果によると、ピエール師の信者から「当時、学生か何かで、志は低いし根性はないし」という話が伝わっており、「ぽかぽか弁当」のおばさんには「予備校か何か行ってたような...」と言われていて、あまり評判が宜しくない。ちゃんと学業にいそしんでいた様子はない。

 しかし、1980年に彼は万丈面の興業事務所を訪れて、サークル活動で金儲けをしようという話を持ちかけた。仲間の山根が、真面目に勉強して順調に進学・進級しているとすれば、そろそろ大学の専門課程で、細菌学の分野における天才性を発揮し始めたころか。生物兵器開発の目途が立って、いよいよ創業の決意に至ったものか。


 第18巻によれば、そのときのハットリは万丈目に見せるため、サークル活動で利用する小道具として、3つのお面を持参している。忍者ハットリくんのお面、ナショナル・キッドのお面、そして、オッチョが作った目玉と左手のマーク入りの覆面(これのみ、以下、便宜的に「ともだちマスク」と呼びます)である。それぞれ少年時代のゆかりの品だが、では、どのように使われてきたか。

 ともだちマスクは、後半になって頻出するのだが、この第14巻に至るまでの前半では、ほとんど全く登場しない。後半に出てくる過去の話題として、万丈目と西岡が”ともだち”を宙に吊るし上げている初期のステージ風景、キリコが家出を決意したサークル会場、長髪の殺人鬼が「こないだの人と同じ人?」と尋ねている1994年のシーンに出てくる。いずれも1997年よりも前の出来事の回想シーンである。


 物語前半の1997年から2014年までにおいて、そもそも”ともだち”が登場する場面自体が少ないのだが、中でも信者連中との語り合いが中心の第1巻や第2巻では、おそらくずっと素顔のままだ。忍者ハットリくんのお面を本人が使ったのは、ともだちコンサートと、血の大みそかの夜と、2015年元旦の夜の理科室だけ。

 いずれも、ケンヂやオッチョに相対する場面であり、ヨシツネに言わせれば「それが言いたくて、あいつは」という利用方法であった。第12巻でフクベエが死ぬまで、ナショナル・キッドのお面か、ともだちマスクを使う”ともだち”は、リアル・タイムでは一切、出てこない。ともだち記念館で春波夫のお年賀を受けたときも、第13巻で万丈目が遺体と対面したときも、マスクやお面は付けていない。フクベエは、ほとんどいつも素顔なのだ。


 ともだちマスクの初登場は、ページ順では意外と遅くて第14巻の18ページ目。すでにお棺に納められた”ともだち”の亡骸に被せられている。先述のように万丈目にとっては見慣れたものであるが、これは信者以外の一般の庶民には、ほとんど知られていないマスクである。その証拠は第14巻の第10話にある。

 理科室に入ってきた「ともだちマスクの男」を見て、コイズミは「だ、誰?」と言っているし、その少しあとで男がヴァーチャル・アトラクションから消えたとき、ヨシツネも「マスクの男」とだけ表現している。この二人の発言は、どう考えても”ともだち”が、ともだちマスクを使っているのを見たことも聞いたこともないとしか考えられない。現物はもとより、テレビなどの映像でも写真でも絵でも見たことがなく、文章表現によってさえ描かれたことがないマスクだったのだ。


 その後の展開を見渡しても、かつて書いたように、ともだちマスクは「フクベエと入れ替わった後」の”ともだち”のご用達であり、忍者ハットリくんは、フクベエのこだわりと考えて差し支えないように思う。それなのに、ともだちマスクが追悼式でフクベエの遺体に使われていたのは、あとで生き返り、入れ替わるにあたっての便宜のためであろうか。

 そこで気になるのは、第14巻の「誰?」というコイズミの質問に続く、カンナの「あれは...!!」という発言と驚きの表情である。ヨシツネやコイズミと異なり、カンナには心当たりがあるように見える。それは何か。ヴァーチャル・アトラクションの中では初顔合わせである。では実世界ではどうか。


 彼女にとってフクベエは実父だが、ケンヂおじちゃんの仇でもある。人類の敵でもある。まさか、”ともだち”の追悼式に参列してマスクを見たのではあるまい。彼女の超能力はすでに相当のレベルまで覚醒しており、予知夢を見るまでに至った。夢の中で、このマスクを見たことがあるのか? でも、それは”ともだち”と知ってのことか? しかし超能力を持ち出すと、何でも安直に片づいてしまうので面白くない。

 オッチョが作った目玉のマークそのものは、これまでも至る所に出て来た。誰もが知る”ともだち”のシンボル・マークである(実際は、「海賊版」だったのだけれど)。それなのにマスク姿を見ても、コイズミとヨシツネが”ともだち”を連想できなかったのは、「フクベエが死んだ」=「”ともだち”も死んだ」という先入観が働いていたからかもしれない。


 カンナはそのような囚われから瞬時に脱したのだろうか。ヴァーチャル・アトラクションの中だから、現実のようで現実ではないのであり、嘘偽りも少なくない世界なのだ。現実の世界で間もなく起きる”ともだち”の復活や入れ替わりまで想像できたとまでは言わないが、ここでカンナはこの男がヴァーチャルの”ともだち”であるという直観を得たのではないか。服装も一緒だし。

 もしもそうなら、ここで死んだはずの”ともだち”が登場するのは明らかに不自然であるから、何かがおかしいという印象をカンナに残したはずである。それが今後の彼女の活躍に反映されたかどうかは、追々読んでいくことにします。



(この稿おわり)



沖縄に行くとビールを飲んでばかりいる。オリオンも美味いが、コロナも逸品である。
(2012年7月9日撮影)

 


東シナ海の朝(2012年7月10日撮影)