おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

606号室 (20世紀少年 第349回)

 他の読者のみなさんは、どの段階で”ともだち”の正体が分かったのだろうか。私は見当さえつかず、というよりも考えるのももどかしく読み進めてきて、ようやく彼だったのかと思ったのは、第12巻の157ページ目であった。

 マルオが見下ろしている郵便受けに「606」というルーム・ナンバーが記されている。1997年のクラス会の夜、ケンヂが酔いつぶれた同級生から訊き出した部屋番号が、「ろくまるろく〜」だったのを覚えていたのである。「オーメン」のダミアンの数字、666と似ているなと思ったから、たまたま記憶に残ったに過ぎないのだが。


 第12巻第9話の「銃声①」は、マルオが真実を知る「12時間前」から始まる。彼とともに乗用車の後部座席に乗っている春波夫さんが、色紙とペンを準備して、「書き損じは許されない」と真剣な表情を見せている。似顔絵の極意は、最初のインスピレーションを筆に任せて一気に描き切るのだそうで、そのインスピレーションは二度と現れないらしい。

 車の中という異様な場所を選んでいるのは、一刻も早く、手遅れにならないうちに、”ともだち”との謁見を終えてから、すぐに帰りの車内で取りかかったためであろう。しかし難点は相手の顔がつかみどころのない、ふわふわとイメージが変わるものだという。


 「人間50年」と春さんは信長のようなことを言う。そのくらい生きていると、人の顔にはその人ならではの銘印が刻みこまれるのだそうだ。それが”ともだち”にはない。マルオ運転手が「まるで、子供のように?」と訊くと、言い得て妙だよと言う反応が返ってきた。

 確かに、”ともだち”の言動には子供っぽさが付きまとう。子供の遊びの延長線上で人を殺める。「あーそ−び−まーしょ」に限らず、喋り方も子供っぽい。それに加えて、顔つきまで子供のようであるらしい。もっとも、1997年のクラス会での彼、あるいは2000年の地下活動中の彼は、確かにマルオやヨシツネに比べれば表情が乏しい方だが、異様な能面というほどではなかった。

 演技はできるのだ。ケンヂにケンちゃんライスのレシピを訊いて呆れたとき。エンパイアステートビルのような建物で、忍者ハットリくんのお面を付けた者を追い詰めたとき。しかし、どうやら”ともだち”になりきっているときの彼は、ユング系の心理学でいう「永遠の少年」の悪しき典型例のようなものらしい。


 筆ペンを構えて、春さんは「ふんっ!」と気合いを入れた。極意に従い一気に描き挙げ、マルオに色紙を手渡しながら「車の振動が吉と出たようだよ。思わぬ線が引けた」と画伯は言った。「この顔は...」と驚くマルオの形相の凄まじさよ。「車を止めてください」とマルオは言った。私用で出かけたいと詫びを入れている。

 一人で大丈夫かと春波夫さんは気遣いを見せたが、マルオは「はい」と答えて車を降りた。その足でマルオは或るマンションを訪れて、606号室があることを確認している。マルオがいつ、どのようにしてこの住所を知り得たのか、私には分からない。ケンヂに聞いたことがあるのか、地下で一緒だったころに知ったのか。躊躇することなく、マルオはインターフォンで606を呼び出した。


(この稿おわり)



初夏の新緑、伊吹山の山腹にて。(2012年5月3日撮影)