おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

赤ん坊の記憶  (20世紀少年 第348回)

 第12巻の169ページ目、ユキジが電話で「カンナ、もういいから帰ってらっしゃい」と語りかけているが、その電波は141ページ目でカンナの携帯電話に届いている。ユキジの心配は二つあるようだ。一つは健康問題で、カンナがほとんど寝ていない様子であること。もう一つは鳴浜町から帰ってきてから、どうもカンナの様子がおかしいこと。

 すでに自分の父親が”ともだち”であることや、鳴浜病院で山根情報を得たことはユキジに伝えたカンナであるが、さすがにまだ、母がゴジラになって15万人を踏みつぶした件は話せないらしい。ユキジは直観的に、何か隠し事をしていないかと思っているのだ。鋭い。

 
 このユキジからの電話が架かってきたとき、カンナはかつてケンヂと暮らしていた家の前に来ており、物思いにふけっていた様子である。1997年に焼け落ちたコンビニのあとはアパートになっていて、バルコニーの洗濯物の中に赤ちゃんの服が見えた。ここで赤ん坊のころ、カンナはケンヂの背中で育った。絵からして、そのゼロ歳児のころのことをカンナは覚えているらしい。

 胎児の記憶は、しばしば誕生後も残る。しかし、3歳を過ぎたころには忘れてしまうらしい。そんな内容の本を読んだことがあったため、長男が2歳のときに「母ちゃんのお腹の中にいたときのことを覚えているか」と訊いたことがある。日曜日の昼間で、二人のんびり布団に転がっていたときのことだ。


 長男は満面に喜色を表して、「覚えているよ」と言った。さらに、「こんなふうに泳いでいたんだよ」と言って、ひっくり返ったカメかカブトムシのように、布団に仰向けになって手足の先をバタバタさせて見せたものである。

 幸い、当時はあまり仕事が忙しくなくて、土日や夜に子供と過ごす時間は長かったが、彼が「泳ぐ」という言葉を使ったのを聞いたことはなかったし、とうてい嘘を言っているようには見えず、また、胎児が羊水の中で泳いでいるのも事実であるから、驚くことばかりであった。

 だから、私はカンナが赤ん坊のころのことを覚えているとしても、別段、不思議には思わないし、ましてや超能力娘なのだから、さもありなんといったところだ。カンナは接骨院の写真を撮るよと何とか陽気に言って、ユキジの電話を切ってしまった。そのまま歩いているうちに、彼女はケンヂおじちゃん以外のことまで思い出したのだ。


 角にコンビニらしき店(かつて本社の営業がケンヂに言っていた、200メートル先の商売敵か)のある道に見覚えがあった。赤ん坊の自分を載せたベビーカーを転がして歩く山形のおばあちゃんの姿が脳裏に浮かぶ。見上げると倉庫がある。チョーさんが見た”ともだち”の実家跡に建てられた2階建の古びた倉庫である。そして、おばあちゃんは知り合いとの世間話に夢中になって、しばしの間、ベビーカーから注意を逸らしてしまったらしい。

 さらに、カンナは思い出したのだ。男が自分を抱き上げて立ち去り、どこか広い場所に置き去りにしたことを。おばあちゃんが彼女を探し出して、泣きながら抱きしめている姿を。カンナはその広い場所のありかを求めて夜の街を走った。倉庫から学校まで、それほど遠くないことは、弁当屋のおばさんがチョーさんに示した手振りで分かる。


 心当たりの場所が見つかった。小学校の校庭。75ページ目にショーグンと角田氏が歩いている絵と同じ校舎だから、ここが区立第三小学校であることが分かる。「うそ、あの顔は」とカンナは言った。「あの人が、私のお父さん」。

 カンナがその顔を覚えたのは、3歳のときのケンヂの地下の秘密基地か、高校2年生になってからのヨシツネの地下の秘密基地の写真か、このいずれかであろう。娘が思い出したその瞬間に、すぐそばにいた父親は悲惨なことになっていた。



(この稿おわり)


ツツジは白が好みです。近くの公園にて。(2012年4月26日撮影)