おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

培養成功  (20世紀少年 第321回)

 鳴浜病院はオデオン座以上に荒れ果てた廃墟だった。窓ガラスの大半が割れている。第11巻の161ページ、南病棟に踏み込んだカンナは、研究室の一つに「Dr.YAMANE」という表札を見つけている。初めて山根の名前が出て来た。そして近くの部屋に「Dr.ENDO」の表札もあった。

 「母さんの部屋」とつぶやきながらカンナが足を踏み入れた部屋は、古びた机椅子やキャビネットの他には、若干の書類が散乱しているばかり。床に落ちた額縁のガラスも割れている。カンナが拾い上げると、それは写真入りのキリコ名義の証書だった。これについては、去年8月に「キリコの人生」というタイトルで3回にわたって書いたときに触れた。


 少し補足すると、カンナが声に出して読んでいる「ユニバーシティ ガインデ ホスピタル」というのは、大学ではなくて病院の名前だろう。うちの近所の東大病院の英語名は、そのサイトによると「University of Tokyo Hospital」であり、東京大学付きの病院という意味か。これはネットで探すと、外国にも同様の例がたくさん出てくる。

 カンナは、「母さんはアフリカで医師の資格を...」と考えた。これは間違いではないかもしれないが、この証書自体は、医師の試験の合格証ではなく、大学病院のレジデントの修了証であり、医師資格を得た後に3年間のトレーニングを無事終えたという内容であるはずだと思う(門外漢なので推測です)。


 カンナは読み上げていないが、証書に「Resident in Bacteriology」とあるので、キリコはやはり細菌学を専攻していたと思われる。レジデントは1994年の7月に修了した。この年に日本に戻り、遠藤酒店の前を掃除していたら諸星さんが来て、帰る途中で殺された。その年または次の年に、カンナはフクベエに口説き落されて、鳴浜病院で働き始めたのだろう。そして恐怖の細菌が病院外に漏れた。まさか、故意にではないと思うが。

 床に落ちた「外出中」の下げ札には、「細菌研究棟 13時戻り」と書いてある。カンナが地図を頼りにたどり着いた細菌研究棟は、台風が駆け抜けたかのような散らかり具合。鳴浜町に死病が広がった時点で、きっとキリコ以外の研究者たちは取るものも取りあえず逃げ散り、病院は”ともだち”が強制的に閉鎖したのだろう。


 次にカンナが床から拾い上げたのは、どうやらアルバムで、先ず、全身から出血したお猿の写真。次に、「遠藤チーム培養成功」のキャプション付きの集合写真で、キリコたちが満足げに写っている。せめて、ワクチンの培養と書いてあれば、カンナは最悪の誤解をせずに済んだはずだが...。

 嘘だと叫びながら棟の入口で病院名を確認すると、例の”ともだち”マークに、友楼会(老人の記憶では、トゥモロー会と発音)という医療法人の名前。キリコが当時、”ともだち”の仲間であったことを確認してしまった。カンナはもう一度、研究室に戻り、全てが嘘だと信じられるような反証を求める。


 だが、目についた手書きのメモには、「わたしはゴジラ わたしは15万人を踏みつぶした」と書かれていた。もしも本物の極悪人のままならば、こんなメモが目立つところに放置されていることはないだろう。でもカンナには、そんなことを落ち着いて考える余裕はなかったのだ。

 この日の彼女は、よりによって特にキリコに不利な事実の断片だけを集めるのに大成功してしまったようなものだ。血のつながった両親が、そろって世界同時多発細菌テロの下手人。母が作って、父がばらまいた。さすがのカンナも、地べたに座り込んだまま夜を明かすことになった。


 ところで、ちょっとだけ遠藤酒店に話を戻す。キリコとケンヂの父ちゃんが亡くなったのが何年なのか不明だが、第2巻の葬儀の場面では、ケンヂはまだバンドをやっているし、店は任せなと言うキリコも若々しい。1980年代だろう。

 第13巻で、ドラマーのチャーリーこと春さんは、ケンヂのバンドを辞めるきっかけになったのが、1980年代末に起きたバンド・ブームだったと述べている。ケンヂは彼が抜けた後、もうバンドは組まなかったとも言っている。第19巻、長髪の殺し屋が初めてケンヂに会ったのは1989年、このときケンヂは電話口で、ライブのあとにギターを盗まれた話をしている。


 そしてこの第11巻の36ページ目では、ドラムスが辞めたあと、バンドを解散してギターを売り払い、実家に戻って酒屋を継いだとカンナに語っている。となると、ケンヂがロック・バンドを断念して酒屋さんになったのは1990年前後であり、ちょうどキリコがレジデントを始めた1991年というタイミングと符合する。

 94年にキリコはアフリカから帰国して実家に戻った。そのときは、自分が再び酒屋を継いで、ケンヂにバンドを再開させようと思っていたのかもしれない。そう考えれば、第19巻の諸星さんに対する断り口上も不自然ではない。だが、結局、彼女はすぐに鳴浜病院に移ってしまった。だからケンヂはそのまま酒屋に留まり、やがて経営が行き詰ってコンビニとして再出発した。


 これで、つじつまは合うだろうか? 

 1997年、キリコは真実を知り家を出て、カンナを実家に預けて失踪。そして、第1巻の物語が始まるのだが、ケンヂと母ちゃんの会話からして、彼女が鳴浜町にいたことを知っていたとは思えないし、まして、フクベエとのことは知らない。コンビニに商売替えしたのが姉弟どちらの判断だったのかもはっきりしない。

 だが、雰囲気からして、頼みの綱のキリコが行方不明とあっては、他にどうしようもなくケンヂが自ら初代店長になったような印象があります。母ちゃんは酒屋時代が懐かしくて、事あるごとにバカ娘バカ息子と愚痴っているが、勿論こういうのを全て真に受けてはいけないし、そもそも「人類の勝ち」をもたらした主役は、彼女の子孫や「あらやだ、落合くん」たちだったのだから、許しておあげ。


(この稿おわり)



谷中・日暮里の鎮守、諏方神社にて(2012年4月4日撮影)