おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

告発の行方 (20世紀少年 第661回)

 前回、ニコール・キッドマンの話題を出したので、もう一人の気に入りの女優、ジョディ・フォスターの話にも触れたくなった。彼女を初めて観たのは学祭で上映された映画「タクシードライバー」である。こういう作品、こういう役で有名になったせいなのか、その後の役柄も私生活も波瀾万丈なお方。

 後年の「告発の行方」も反響を呼んだが、熱演中の熱演といえばFBIの捜査官の役だろう。「羊たちの沈黙」はすでに話題に出しました。映画のテレビ・コマーシャルもジャニス・イアンの歌声なら歓迎だが、「けーんぢくーん、あーそびましょー」は気色悪く、さらに「グッド・モーニング、クラリス」には参る。


 カンナを母と弟に預けたキリコは、”ともだち”の暴走を止めるために、どうやら先ず”ともだち”という団体を調べたらしい。彼女が「○谷警察署」に持ち込んだ調査結果の書類は一抱えもあるもので、面会している警察官も「よく調べられましたなあ」と感心している。まさかフクベエが詳細な資料を自宅に保管しているとも思えないので、急いであちこち調べ回ったのだろう。

 フクベエとキリコがどこに住んでいたのか分からないが、なぜか親に黙って出て行ったのだから、まさか遠藤酒店のすぐそばではあるまい。だが、いざ警察に届けるにあたり、土地鑑のないところよりも、実家近辺を所轄する警察署を選んだらしい。その警察署は敷島教授の一家全員行方不明事件や、教え子の金田青年の変死事件の捜査を担当しており、たぶん遠藤家のある商店街も管轄しているのだろう。


 ということで、不運にもキリコはヤマさんに訴え出てしまったのだ。ただし、チョーさんほど悲惨な目に遭わずにすんだのは、きっとヤマさんもすでに彼女が「せいぼ」であることを知っていたからであろう。ヤマさんは相手が宗教団体の場合、警察もなかなか手を出せないと渋っているが本当だろうか。本当だとしたら何故だろうか。興味は尽きない。

 告訴と告発は異なる法律用語である。告訴できるのは限られた人で、例えば被害者や遺族、その代理人すなわち弁護士さん等のみである。これに対して告発は、内部告発という言葉もあるように、怪しいと思ったら誰でもできる。キリコは心理的にはともかく、まだ刑事事件の被害者ではないので、ここでは告発をしたことになる。正式に受理されたのであればだが。


 当然ながらこの訴えは警察内ではヤマさんに握りつぶされ、”ともだち”に報告がなされたに違いない。チョーさんよりも先に”ともだち”の正体にたどり着いた人物がいたのである。好きでたどり着いたわけではないが。カンナはケンヂおじちゃんを追いかけまわす警察を、子供のころから高校生になっても大嫌いであるが、実は母もだまされていたのだよ。

 ヤマさんは「ご心配なく」と言ったが、かといって進展もなく、2000年の最後を迎えてキリコはフクベエのたくらみを知った。救われたのは「私と共にある皆さん」ではなく、キリコのワクチンが届いたか、ウィルスが届かなかった皆さんであったが、そんなことより元夫が世界中から賞賛と尊敬を一身に受ける一方、弟が天下の極悪人という時代を迎えてしまった。苦しんだろう。


 次の彼女の行動は既に一部、描かれている。2002年、鳴浜病院に戻った。第20集には「私はゴジラ...」とデスクの前で立ったままメモを書くキリコの後ろ姿が出てくる。この書き置きは誰のため何のためだったのだろう。期せずしてこれを読んだカンナは、しばらくの間、大変なショックを受けたままだったのだ。

 おそらく自責の念をこういう形ででも発散せざるを得なかったに違いない。この点は弟のケンヂも幼なじみのオッチョも同様であった。過失や故意により他者に損害を与えれば、民法によりその損害を賠償しなければならばい。だが実際の生活は法律だけで動いている訳ではないから、我々は故意や過失がなくても賠償することがある。無過失責任とか結果責任とかいうらしい。


 要は迷惑をかけたとき因果関係が明らかなのであれば、悪気がなくても弁償しないと世間が許さないこともあるし、自分の気持ちが落ち着かないこともあるのだ。殺人兵器の巨大ロボットもキリコとケンヂが関わっていること自体は間違いない。そして弁償しようがない。せめて再燃、再発、悪化を防ぐことしかできない。かくしてキリコは怪獣ゴジラと同様、正義の味方に鞍替えしたのだ。

 鳴浜病院でできるだけ多くのデータを得たキリコであったが、次に訪問した富士山麓のラボでは、山根がとんでもない新ウィルスを開発済みであった。彼女はデータを取り上げてアフリカに渡り、ワクチンの試作品ができた段階でスイスに移り、ドイツに逃げてアメリカに渡った。ようやく大量生産にこぎつけたのに、工場は火事で焼け落ちてしまった。正義の味方になるのも楽じゃないのではないか?



(この稿おわり)



コブシ咲く寛永寺江戸城を明け渡した徳川慶喜はこの寺務所奥に蟄居した。
(2013年3月12日撮影)















































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