おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

オデオン座 (20世紀少年 第319回)

 第11巻第8話の「廃墟」は、「浦の苫屋の秋の夕暮れ」という感じの侘しさが漂う漁村風景と、「いやあ、あぶないとこだったねえ。あんた、運がいいよ」というセリフで始まる。カンナは強運の持ち主であった。母をたずねて三千里、辿りついた鳴浜町の元映画館オデオン座の廃屋は、地元の老人によると、来月には取り壊されることになっていたらしい。

 もっとも、強運といっても、彼女はこれまでも今後も、次から次へと悲惨な体験が続く人生、これぐらいの幸運で埋め合わせられるものではない。それに、この滞在期間中の彼女は、運が良かったのも最初だけ。第11巻は冒頭でカンナの父親の正体が明らかになり、巻末で母親の過去の一部が明らかになるという、カンナ受難の書である。ヨブ記並みの試練の連続なのだ。


 日本の農村や漁村では少子高齢化や、若者が都会に移住し続けているため、地方の過疎は歯止めがかからない。こんな風な景色がきっと全国に多数あるのだろう。町ひとつで映画館を持つところなど、皆無に近いのではないか。鳴浜町は、それでも2002年に町おこしで映画祭を開催したのだが、その年限りで終わってしまったらしい。鳴浜町という地名は、愛知県に実在するようだが、ここでは架空の地名だろう。ちなみに老人の言葉には、あまり訛りがない。

 鳴浜という地名は、あるいは鳴き砂から来たものか。井上ひさし吉里吉里人」は、小説の舞台になった東北地方に何か所かある吉里吉里という地名(特に今回の津波被害が甚大だった大槌町が有名だそうだ)から採ったものではないかと言われておりその吉里吉里は、鳴き砂の擬音語ではないかという説を新聞で読んだ。津波の後も鳴き砂は健在だろうか。誰がために砂は鳴くか。ともあれ、カンナは砂浜を散歩する余裕などなかったろうね。


 オデオンとは、ネット情報によると、ギリシャ・ローマ時代の音楽堂のことで、現代ではパリの由緒ある劇場の名として残っている。私がオデオンという言葉を初めて知ったのは、ニッケル・オデオンだろうな。昔のアメリカの舞台小屋みたいなものらしく、サイレント時代の映画の上映などして、客を楽しませる庶民向けの娯楽施設だったらしい。ニッケルというのは、今もそうだが5セントのコインのあだ名である。入場料金だ。なお、デザインに関しては、私は10セント硬貨のダイムが好きです。

 ついでに、音楽の分野では、その昔「オデオン」という名のレーベルがあった。今はレコードという媒体そのものが世界遺産になってしまったので、このレーベルも多分、廃止されていると思うが、かつて存在した証拠は「20世紀少年」第1巻早々の11ページ目、第1話「ともだち」の冒頭に出てくる。ターン・テーブルにケンヂが乗せたシングル・レコードは、幸いまだ45回転を始める前の絵であり、T-REXの「20th CENTURY BOY」が「Odeon」レーベルから発売されたことが見て取れる。

 
 オデオン座の映写機は運よく動いた。ただ一人、客席に座ったカンナの目の前で、スクリーンに「2002年 鳴浜町音楽祭」のタイトルが映る。若者が三人、そしてカメラに追いかけられたらしい女性が、恥ずかしがって手のひらで顔を隠そうとしている。カンナは「お母さん」とつぶやいた。どうやら映画本編において、キリコが登場したのは、その箇所だけらしい。それにしても、カンナは、どうして母だとすぐ分かったのだろう?

 これは答えが出そうにないな。生まれたばかりのカンナを、キリコは母と弟に預けて去った。第2巻でケンヂがカンナを背負って、キリコの部屋で手紙を読んているが、写真は出てこない。その家も間もなく放火で消失してしまった。山形のおばあちゃんが、手元に娘の写真でも残していて、カンナに見せたのだろうか。もっとも、後にカンナはベビーカー時代に一目だけ会った父の顔を思い出しているので、超能力少女はあなどれない。


 映画祭のフィルムが終わって、二人で缶コーヒーを飲みながら、老人の昔話が始まる。ずっと前からさびれていた町は、映画祭の企画もむなしく再興しなかったらしい。もっとも、ごく一時期、町がにぎわったことがある。病院ができて人口も増え、高速道路が通る話まで持ち上がった。

 ところが、それが急きょ中止になったのは、モンちゃんメモにも出て来た「全身から血が吹き出す」病気が流行ったからだと老人は語る。彼が「例の」病気と表現しているように、それは血の大みそかのテロに使われた細菌兵器による劇症の死病であった。カンナは、ここでそんな話題になるとは思ってもいなかったに違いない。


 しかも、古老によれば、2000年血の大みそかよりも前で、日本ではここが最初のエンデミック(局地的な流行)らしい。「それって。いつごろ?」とカンナは語気鋭く訊き返した。ここから、聴きたくもない話、見たくもないもののオン・パレードが始まる。

 なお、この場面は老人とカンナの二人だけが登場人物なので、134ページ目で映写機の始動に成功して、「おっ、動いた動いた」と嬉しそうに発言しているのはこの老人であるに違いなく、彼がアルフレードと同じく映写技師であったことが分かる。かぶっている帽子のロゴが「ROCKY」になっているところをみると、彼はロッキーのシリーズのファンなのかもしれない。


(この稿おわり)



日暮里もみじ坂にて(2012年4月3日撮影)


散歩道にて(同日撮影)