おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Profession (20世紀少年 第638回)

 
 かつて先輩の同業者から、英語には「職業」を意味する言葉が二つあるという説を聞いたことがある。彼が英単語の意味を適切に解釈しているかはともかく、それをきっかけに話した内容はなかなか面白かったので記憶に残っている。そして、その二つの職業とは「occupation」と「profession」とのことだった。

 前者の「occupation」はよく見かける。例えば査証の手続きや海外出張に行くときの揺れる飛行機の中で、入管のための書類を書かされるものだが、英語圏の「職業欄」はたいてい「occupation」になっている。「job」は職・雇用という意味合いが強く、これと比べて「occupation」は職種や勤め先のことで、それにより食っている仕事すなわち生業(なりわい)です。


 大きなホテルの宿泊カードにも、職業欄は「occupation」となっている。本当にあったことかどうか知らないが、かつて長嶋茂雄がこの職業欄に「長嶋茂雄」と書いたという話を聞いたことがある。真偽はどうでもよいほど可笑しい。特にバットを置いた後の彼は監督を務めていた一時期を除くと、まさに「長嶋茂雄」で食っていたとしか言いようがないのではないか。さすがナガシマである。

 これに対して「profession」とは、英英辞典によると優れた技能や知識を必要とする職業というような意味が載っていて、プロフェッショナルという言葉も確かにそんな印象が強い。しかし冒頭の論者はちょっと違ったことを云った。「profession」はこの世に生まれた以上、この自分がやるべき仕事、何よりやりたい仕事であるという。換言すれば天職に近いか。


 この伝でいくと、例えば1997年のケンヂはコンビニ店長が「occupation」であり、ともだち歴3年のチャーリーとビリーの「occupation」は演歌歌手と焼き鳥屋の亭主であるが、この3人の「profession」はロックである。そしてまた、1994年ごろのキリコの「occupation」は酒屋であったが、彼女の「profession」は細菌・ウィルスの研究や感染症医療なのだ。諸星さんはそれを志と呼んだ。

 第19集の163ページ、諸星さんを突き落した長髪の人殺しは、「あとは”ともだち”のお手並み拝見だ」と言いながら駅を去った。続いてその「お手並み」が描かれているのだが、場所も口説き文句もそっくり諸星さんのモノマネである。喫茶店も座っているテーブルも同じ。ただし、前回は諸星さんが窓際で、今回はキリコが窓際に座っている。

 キリコと向かい合って座っている男の顔は描かれていない。だが話の展開や後ろ姿などからして、”ともだち”に違いあるまい。さすがに変なお面はかぶっていない。後に出てくるがキリコは少年時代のフクベエの顔を知っているはずであり、ケロヨンとマルオに”ともだち”はフクベエだとあだ名で呼んでいるのだから、弟の同級生と知って会ったはずだ。


 ここで”ともだち”は、人間はなりたいものになれるんだからで始まるかつての諸星さんの言葉を暗唱し、おまけに「”ともだち”として」という余計な文句まで加えている。この文字どおりの猿芝居の脚本を書いた長髪は、”ともだち”の後ろの正面に座ってお手並み拝見中であり、目を菱形にして笑いをこらえきれずにいる。嫌な奴。

 キリコは「あなたの志を眠らせてはいけない」という箇所で大きく目を見開いている。彼女は相手のセリフが諸星さんのそれとそっくり同じなのに気付いているはずなのだが、不審には思わなかったのだろうか。まさか盗聴され悪用されているとは思わないもんなあ。とにかく彼女は「志」という言葉を聞いて、「profession」に目覚めた。


 諸星さんとの会話の様子を見ると、彼女はこの「あなたの志を眠らせてはいけない」と言われたときが一番、辛そうにみえる。お断りしか考えていない席のことだから止むを得ないのだ。それが一転、ここでは中島みゆきの言葉を借りれば「振られたての女」と同様のキリコにとって、この言葉は意味を持った。つまり諸星さんの遺言として彼女は受け止めたに違いない。

 この会話だけで、キリコが遠藤酒店から出奔したかどうかは分からない。第2集でケンヂが見つけたワープロ打ちの変な手紙も含めて、長髪のマニュアルには他にもいろんな手練手管が提案されていたに違いない。「出奔」というのは大げさな言葉遣いに聞えるかもしれないが、お母ちゃんでさえカンナの父親を知らないのだから、黙って出て行ったとしか考えられない。


 1994年にキリコは遠藤酒店で働いており、1997年にはケンヂがキング・マートで働いている。二人の父親が亡くなったのは、おそらくキリコの帰国の前後。それ以降、母と娘で切り盛りしてきた酒屋は、キリコの失踪で経営が危うくなったが、折よくケンヂが音楽活動を断念してフラフラ実家に戻ってきたのだろう。コンビニに転業したのは多分ケンヂではないか。全部、推測ですが。

 キリコは1995年ごろに鳴浜町の病院で女医さんだった。ウィルス騒ぎがあって間もなく病院は封鎖、彼女は山根と行動を共にしたのなら大福堂製薬に途中入社した可能性がある。さらに研究を続けていたことは後に彼女の夫の言葉で分かるが、おそらく96年には妊娠、97年にカンナを出産、そして夫の正体を知って再び家出。なんとも忙しい人生である。


 イーグルズの歌で一番気に入っているのは、アルバム「ホテル・カリフォルニア」に入っている「Life in the Fast Lane」という曲だ。「駆け足の人生」という、なかなか気の利いた邦題が付いていた。イーグルズにしては珍しく(失敬)ドライブ感あふれるロック・ナンバーである。「Life in the Fast Lane」はバンドの造語ではなく英語の慣用句で、「刺激的で波乱万丈の人生」というような意味。「Fast Lane」は日本の高速道路でいう「追越車線」のことだ。

 英英辞典によれば本来の「Life in the Fast Lane」はプラスの価値を持つ言葉だそうだが、イーグルズの歌詞は必ずしもそうではなく、ましてキリコの人生は確かに刺激的で波乱万丈なれど波高し、ジェット・コースターのように浮沈し続ける。”ともだち”がなぜ彼女を必要としたのかは、追ってまた第20集あたりで考えるが、ともあれ選んだ相手は筋金入りの正義の味方になった。


 ということはキリコをだまして仲間に引きずり込んだこの日こそ、「しんよげんの書」の破綻の始まりであり、「人類の勝ち」の始まりの日でもあった。そんなことも知らない長髪がこの思い出話を聞かせても、ケンヂは表情も変えず黙ったままだ。姉ちゃんの仇がここにいるのだが、この沈黙はどうしたことか。過去と小者に関わっている場合ではないということでしょうか。

 念のため。「occupation」より「profession」のほうが上等かとか立派だとか言うつもりはない。私もほとんどの人も、日々「occupation」で汗を流しており、それで社会経済は成り立っている。趣味と実益を兼ねるような仕事を続けられる人は、相応の能力と幸運に恵まれているだけです。



(この稿おわり)




都会ではこういうポストも見かけなくなりました。 (2013年2月17日、益子にて撮影)





 He was too tired to make it.
 She was too tired to fight about it
 Life in the fast lane
 surely makes you to lose your mind.

               ”Life in the Fast Lane” by The Eagles


 男は力尽きて思いを果たせず
 女は疲れて戦う気力もなかった
 波乱万丈の人生は
 正気を失うこと間違いなし
















































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