おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

警察庁長官のヤマさん    (20世紀少年 第204回)

 第5巻の124パージ目、避難場所の倉庫に突然、蝶野刑事が現れた途端、カンナは激しい拒絶反応を示している。ニューハーフの二人に逃げてと叫び、引きとめようとする蝶野刑事には、噛みつくという古典的な戦いぶりを示す。このあと刑事とカンナの二人は、信じろ、信じないの言い争いになる。

 結局、カンナのほうが折れざるを得なかったのは、彼女たちが万策尽きた状態だったからだろう。しかし、判断が正しかったのは、「どこまで腐っているかわからない」と主張したカンナの方だった。蝶野刑事は図らずして、一番、腐っている場所に出かけてしまうことになる。


 蝶野刑事がカンナの説得材料に使った彼の「強い味方」、「信頼できる人」とは、果たして、祖父の仇であるヤマさんであった。将ちゃんによると、ヤマさんおじさんは、初のノンキャリからの警察庁長官であるという。「新宿鮫」によれば、警察という組織はキャリアとノンキャリという身分制度が、他の省庁よりはるかに厳しそうだが、ヤマさんはお友達の縁故で出世したな。

 しかも、ヤマさんは2000年の段階では、所轄の一刑事に過ぎない。所属は警視庁すなわち東京都の警察本部だったのが、いまやその上位官庁たる警察庁のトップ、日本中の警察で一番偉い人なのだ。何も知らない蝶野刑事が頼ろうとしたのも無理ないこととはいえ、こちらも祖父の「縁故」である。重要な仕事を人脈(個人的な人間関係)で片付けてはならないのに。


 しかも、チョーチョはよくもまあ喋った。冒頭で、母がお守りをたくさん持たせるなどと語ったこと自体、結果論とはいえ大失策であった。しかも、「ローマ法王暗殺」でも十分なのに、「友達」のことまで、しっかり伝えてしまった。このため、退出後に、あっさりと「絶交」命令が出てしまった。請け負ったのは警備役の鼻ホクロ。

 ところで、これまで「絶交」の指令を出していたのは、”ともだち”だけである。後半では万丈目や高須が乱発しているようだが、この時点でヤマさんに「絶交」の命令権があったのかどうか、これについては後に考えてみたい。

 気の毒に、ヤマさんの奥様は、夫が悪魔に魂を売却済みであることを知らない。蝶野刑事に料理を出してくれたり、チョーさんとヤマさんの写真を探してくれたりと、かいがいしい。その後、この気立てのよい女性がいかなる運命をたどったのかについて、作品は沈黙を守っている。


 なお、ヤマさんは、「取りあえず私のとこへ来たのは正しい判断だ。」と語っている。彼にとっては、そのどおりだな。チョーさんも、キリコも、「正しい判断だった」と彼は評するのだろう。最後の最後にもう一度、蝶野刑事が来たときに、同じセリフを吐けばさぞかし恰好よかっただろうに。

 また、ヤマさんの発言で興味深いのは、法王が歌舞伎町に来るのは、そこの教会の神父がバチカン時代、法王の弟子だったとかで世話になったという件である。ニタニ神父のことだな。もっとも、世話になったなら弟子が会いに行くのが筋というものだが、その逆になった詳細は後に描かれる。


 第5巻の186ページで、ニタニ神父は斉木刑事と蝶野刑事に対して、「あなた方は疑うのがお仕事のようだが、私は信じるのが仕事です」と印象的な台詞を語っている。そのあとで、この辺にはショットガンを使うようなマフィアはいないと重要な情報をもたらしているのだが、どうも刑事たちは感度が鈍かったようだ。

 疑うのが仕事というのは、刑事コロンボも盛んに言い訳していたものだが、ただし、警察官は、ときに犯罪者に対峙して命を賭す職業であるから、お互いを信頼しなければ仕事にならない。警察出身者が何かのインタビューで、「万一のときは仲間が仇を打ってくれると信じていなければ、この仕事は続かない」と語っておられた。


 私が子供のころ起きた現代日本の犯罪史上、屈指の大事件である「あさま山荘事件」では、銃撃戦のさなか、2名の警察官が殉職している。犯人の一人は未成年で実名報道されなかったが、テレビや新聞では、その顔が大写しにされた。機動隊員たちは、報道陣に見せ付けずにはいられなかったと聞く。現場では強靭な連帯感に支えられているのが警察という組織だ。

 だからこそ、チョーさんもチョーチョも、当然、何の疑いもなくヤマさんに重要な事柄を持ちかけているのだ。それを逆手にとるとは卑怯千万、いずれ天罰が下るであろう。だがその前に、蝶野刑事はもっともっと苦労しなければならない運命にあった。


(この稿おわり)


上野公園の西郷像前にて、2011年12月4日撮影。
奇しくもこの日は、西郷どんの誕生日なのであった。