おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

朋友    (20世紀少年 第203回)

 第6巻の115ページ目で、電信柱の影にひそんでいた蝶野刑事が、常盤荘から立ち去るカンナを見届けているその目的は、真面目な顔をしているのでたぶんストーキングではなく、本業の張り込みであろう。彼はブリトニーさんのアパートを張っていた際、ヒゲソリを取りに来たカンナと出くわしている。

 その際に彼はカンナから、交番のホクロの警官が人殺しであるという恐るべきタレコミを得た。彼はその瞬間に、当人の顔を思い浮かべている。直前に歌舞伎東交番で摺れ違っただけで顔つきを覚えていたとするならば、さすが警察官の資質はお持ちであるとみた。いや、珍宝楼でも会って挨拶していたな。旧知の仲か。

 
 蝶野刑事が、この件についての詳細情報を得るべくカンナに接触を試みているのだとすれば、組織に所属するものならば単独行動などとらずに、ちゃんと上司先輩と相談のうえ動くべきであろう。しかし、どうやら他の刑事たちの会話からして、蝶野刑事は外出の用件を伏せたまま、こっそりカンナを追っているらしい。

 もっとも、歌舞伎町警察署は法王来日に向けて超多忙なので、一高校生の信じがたい話など、取り合ってもらえなかっただろうが...。その刑事たちの会話の中で、先輩刑事の斉木さんが、法王がお忍びで歌舞伎町に来ると言う話を小耳にはさんだという話題を提供している。これに続く刑事たちの会話が愉快だが割愛。

 そのとき蝶野刑事は、離れたところで後ろ向きにコートを着ている最中だったので、斉木先輩の話は聞こえていなかっただろう。もしも聞いていれば、法王暗殺の噂を耳にした時点で斉木刑事に伝え、違う展開になったかもしれない。しかし、彼は法王の歌舞伎町来訪の噂を知らなかったため、極秘情報と判断して、直接、ヤマさんおじちゃんを訪問してしまったのではないか。


 そのころ、カンナと二人のニューハーフは、切羽詰まったブリトニーさんの潜伏方法を検討中。マライアさんは温泉のガイドブックを取り出してカンナに呆れられているのだが、ブリトニーさんは警察から逃げられすはずがないと悲観的だ。お金もそんなにないし(珍さんからの借金のみ)、確かにいつまでも逃げ回っているわけにもいかない。

 カンナが、ホクロ巡査が逃げられない程の証拠はないかとブリトニーさんに尋ねたところ、射殺される直前に被害者の中国人が発した中国語くらいしか覚えていないという。さすがはダンサー、話せない中国語でも、音は覚えていたのだ。カンナが翻訳したところ、「ローマ法王暗殺」という聞き捨てならないダイイング・メッセージであった。


 そして残る最後の一言は、ようやく思いだしたブリトニーさんによると、「パンヤオ」であった。カンナは「朋友」と訳している。「朋」とくれば、「朋有り、遠方より来る。また楽しからずや。」だ。広辞苑によると、「遠くから学問の仲間が訪ねてくるのは、なんとも楽しいことだ」ということだ。すなわち「朋」とは、ご学友の謂いである。

 私は大人になるまで、これは遠くから遊びに来た友人と酒を飲む楽しみを詠ったものだと信じて疑わなかった。この誤解の全責任は、テレビのCMにある。どの社だったか忘れたが、酒造メーカーがビールか何かのコマーシャルのナレーションで、この一節を朗じていたからである。そういう意味に取ってしまうと、李白の作風にお似合いだが、本物の出典はお堅い論語なのであった。


 ネット情報であれこれ調べてみると、「朋友」の発音には、いくつかのバージョンがあるらしい。少なくともマンダリンとカントニーズでは違うだろうし。私が子供のころは、まだ「ポンユー」という言葉が使われていたものである。ともあれ、カンナは鋭い。即座に”ともだち”を連想している。

 ところが、カンナを追跡して倉庫に登場した蝶野刑事は、”ともだち”のことを知らなかったため、「友達」と受け止めてしまったのは仕方がないのか...。カンナの信用を得ていれば、情報交換が成り立ち、ブリトニーさんはもっと長生きできたかもしれないのだが。

 朋友は、漢語であるとともに、そのまま輸入されて日本語としても定着した。したがって広辞苑にも載っている。出典は易経だそうで、またも孔子様がらみだ。すなわち、朋は「同門」、友は「同志」のことで、昔はボウユウと発音したらしい。そしてその語義は、「ともだち。友人。」とある。ひらがなで「ともだち」とは、さすが天下の広辞苑、含蓄のある解説振りではないか。


(この稿おわり)




東京国立博物館法然親鸞」の展示会ポスターより、悪人正機説
(2011年12月4日撮影)