キリコの次に登場するのは、お久しぶりの仲畑先生である。彼は泣き虫ではあるが根性と優しさという医療職に欠かせない資質の持ち主でもあり、北海道や埼玉で悪のウィルスと戦い続けて来た。
ワクチンの大量生産を始めた際にキリコに気合を入れられてしまったのが運の尽き。東京への運搬役はケロヨン親子とマルオに任せ、両医師はワクチン製造を続けた模様である。
そしてとうとうキリコに心酔するあまり、極寒の北海道から酷熱のアフリカまで引っ越してしまったらしい。彼によると、キリコ先生は毎日ここで診療をし続けており、おかげでこの部族も全滅を逃れたのだという。
仲畑先生は「本当にすごい人です」とカンナや蝶野氏に語っている。だが、やや表情を曇らせながら「ただ、雨が降らずに水が枯渇して...」と心配事を漏らした。水が無くなれは医療どころではない。われらの身体は水袋みたいなものだ。
「水...」とカンナの目が光る。困ったときの変な力頼み。蝶野氏を置き去りにして、カンナは乾いた大地を歩き出す。ある地点で立ち止まって両手をつき、「この下に水」とカンナは言った。今度は透視かな。コンビニエンス超能力だな。
水脈があるのかと蝶野氏が顔色を変える。また変なこと言い出して、気味悪いよねとカンナは戸惑いを隠さない。だが、蝶野氏は「そこどけ!!」と吠えた。チョーチョは脱皮すると何になるのだろう。
かれは一旦集落に戻って、スコップを借りて来たらしい。「掘る」と叫んで掘り出した。人力で大丈夫なんだろうか。カンナはカンナで「もう、なんの力もないかも」と自信なさげに語り掛ける。だが男は説得力のある人名を出した。ケンヂさんなら掘る。やらなけいけないことをやるんだってなということだ。
「それでもって、ヘタクソな歌を歌い出す」と蝶野氏は言った。カンナの表情が輝きを取り戻す。そういえば1997年にラジカセで聴かせてもらったときもヘタクソだと酷評しており、それは泣いてしまうほどの衝撃であった。北の検問所で本物のライブも聴いている。さすがに当人を前にして、ヘタクソとは言わなかったが。
若い二人は「スーダララ、グータララ」と歌いながら穴を掘る。グータラ節は、その無気力を煮しめたような歌詞と曲調にも拘わらず、聴く人をしてやるべきことをやるべしという気分にさせる効能があるらしい。コンチもサナエも田村マサオもそうだった。
歌の良さは分かる人には分かるようだ。歌詞の本文にはカレーやコロッケが出てくる。地球の上に夜が来て家路を急ぐ人たちのために働いていた中川先輩は、この曲にコンビニの心を聴いた。
カンナもここでウロウロしているということは、歌舞伎町の珍さんのお店は退職したのだろうか。マライアさんは借金を返し終えただろうか。隣家の角田氏やウジコウジオ氏たちは、ヒーロー漫画を完成させただろうか。本人にはあまり自覚がないようだが、彼女ほど周囲から頼りにされ大事にされた娘も少なかろう。
ところで、国連やヴァチカンはなぜキリコとカンナを表彰しないのだ? ヤン坊マー坊より貢献度は低いのか。”ともだち”の妻子だったからか? でも絶交というか勘当というか、手を切っているのだぞ。逆にペテロはイエスを裏切ったような覚えがあるが...。まあ、どっちみち母子ご両人は辞退するだろうけれども。
ともあれ、念願の水が湧いたらカンナもここに居つくつもりだろうか。彼女の母キリコと同じく、自分のために大勢の人が死んでいった、あるいは死にかけたという自責の念がある。もう日本が平和を取り戻したのなら、母のお導きにより、ここに活躍の場がある。
それに蝶野氏も離れたくないと言い出したら、おばあちゃんも帰るに帰れず三世帯同居となるか。古人曰く、女三人寄れば姦しい。おまけに、よりによって遠藤家の血筋だ。そんな毎日が将平君の身の回りで、ずっとずっと続くとしたら難儀なことだが覚悟はできているだろうか。
(この稿おわり)
アフリカの大地 (2005年12月、ケニアにて撮影)
日が暮れてどこからか カレーの匂いがしてる
どれだけ歩いたら 家にたどり着けるかな
僕のお気に入りの 肉屋のコロッケは
いつも通りの味で 待っててくれるかな
そんな毎日が 君のまわりで
ずっと ずっと 続きますように
グータララ スーダララ
グータララ スーダララ
(refrain)
「ボブ・レノン」 遠藤健児
(2014年5月16日撮影)
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