おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あの曲     (20世紀少年 第202回)

 第6巻の109ページでは、常盤荘の漫画家コンビ、ウジコウジオが創作にいそしんでいると思いきや、仕事を中断して、雑談に入ってしまう。話題は、頭の中で一日中、CMソングのような、どうでもよい曲を歌っていることがあるという件。奇しくも二人の頭の中には同時に、「カンナちゃんのおじさん」の曲が流れていたのだった。

 ずいぶん前に聞いた話だが、一般人(音楽に携わっていない人)は、平均して同じ曲を4回耳にするとメロディーを覚えるため、主要なスポンサーのCMは、一番組中に4回以上は流すということだった。4回以上でないと無効ということの信憑性はともかく、確かに「どうでもいいCMソング」も、そうやって流行することがある。


 ときに民放でスポーツ番組の実況中継を観ているとき、今なぜこのタイミングに!?と叫びたくなるような、コマーシャルへの切り替えが強行されることがある。CMの放映回数が契約で決まっているということのみならず、3回と4回の違いが非常に大きいという常識のようなものが業界にあるのだろうか。

 一字一句まで正確に覚えていないが、かつて松下幸之助は、テレビで一番面白いのはコマーシャルだと語った。各社が全力を挙げて作るからというのが、その理由であった。

 経営の神様の一般論を否定するつもりはないが、私はテレビにCMを流すような企業に勤めたことがないせいか、松下さんほどCMに同情的ではない。横暴な中断に対する私の不平不満は、えてしてテレビ局のみならず、スポンサーにもその矛先が向かってしまう。


 さて。ウジコウジオのお二人が話題にしているケンヂの曲とは、日本語に名詞の複数形や定冠詞がないため断言できないが、どうやら特定の一曲であるらしい。かつて第5巻で入居早々のカンナが大音響で彼らを怒らせたとき、ベースとドラムの音が入っているようなので、3人編成のロックバンド時代のケンヂの曲だろうと書いたが、ここではたぶん違う。「ボブ・レノン」だろう。

 この作品についての感想は、これから先、いろんな場面でいろんな人の口から語られることになるが、これまでのところ、どうやらこの曲についての評価らしきものといえば、ユキジがカンナに向かって「そんな歌」と一刀両断に付しただけなので、今回、漫画家の見解をきちんと聴いておこう。


 ここで金子氏と氏木氏は、交互にこう語っておられる。すなわち、「こうしてみると、あの曲」、「ああ、そんなに悪くない。」、「ひどい曲だと思ったんだがな...」、「ああ、演奏も歌も最悪だと思った。」、「でも、こうしてカンナちゃん、返って来なくなって静かになると...」、「妙に懐かしい」。

 好意的にみれば、「あの曲」は噛めば噛むほど味の出るスルメのごとき、滋味豊かな作品であるらしい。だが、見方によっては、二人の評価が好転したのはカンナの追憶が反映された結果に過ぎないのかもしれない。


 そのとき、なぜか実際にその歌は久しぶりに隣りのカンナの部屋から聞こえてきた。彼女は荷物を取りに一旦戻ってきたのだ。またすぐ出て行く、どこに行くか分からないというカンナに、二人は警察が彼女を探しにきたという、角田氏への手紙にも書いた凶報を伝える。

 さらにカンナにとって最悪の知らせだったのは、鼻ホクロの警官が一人だけで来たという点であった。彼だけが敵なのか、警察全体を敵に回しているのか分からないとカンナは悩む。


 ここで黙って立ち去ってしまう彼女ではない。ユキジおばちゃんが二人に与えた大打撃のフォローも欠かさない。「新作の漫画、順調にいってる?」と尋ねる彼女に、二人は「いやーなかなか。あれ描いちゃダメ、これ描いちゃだめって、うるさくてね」と苦笑いをしている。

 ということは、二人は無難なラブコメだけで丸くなろうと諦めるほどの軟弱者にあらずして、何とかこの状況を打破しようと、悪戦苦闘しているに違いない。ユキジの叱咤激励も無駄ではなかったのだ。

 あともう少し、3,4年待てばよい。カンナの言うとおりだ。「いつか来るよね。きっと来るよ。思いっきり面白い、漫画描ける時代が...」。透き通った笑みを残して、カンナが走り去る。蝶野刑事が電柱の影で、その後ろ姿を見送っていた。


(この稿おわり)


私は紅葉よりも黄葉のほうが好きらしい。(2011年12月4日撮影)