おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

彼女の人生     (20世紀少年 第200回)

 前回はオッチョを話題にしたので、脱線ついでに今日はユキジを話題にしたくなりました。小欄も200回記念を迎えたこともあり、史上最強の女なら今回の話題にするにふさわしいというものだ。

 血の大みそか以降、2014年の再登場まで彼女がどこで何をしていたのか、私の読み落としがなければ、物語には描かれていない。第20巻の冒頭、ともだち暦3年、ユキジは館長として経営していた祖父譲りの柔道場、「厳道館」を閉鎖して決起するのだが、まさか血の大みそかの直後から、堂々と開業はできまい。

 彼女の住いの地も分からないが、カンナはユキジ宅を家出して引っ越したあとも、同じ都立の新大久保高校に通学しているのだから、新大久保からそう離れてはいないな。新大久保も今はすっかり新ソウルといった感じだが、私は数年前に国家資格を得るため、当時あの辺にあった専門校に通いながら、昼飯や散歩を楽しんだ街なので好きです。


 かつて、キリコは「私」(おそらく、わたし)と発音するが、ユキジ以降の女性登場人物は「あたし」と言っていると書いた。しかしながら、第6巻を改めて読んでみると、ユキジはカンナに対しては「あたし」だが、カンナの担任教諭や漫画家ウジコウジオに対しては「私」と使い分けている。彼女なりの敬語なのだろう。

 先日の雑誌か新聞で、鈴木健二氏が(ケンジさんか)、最近のNHKのアナウンサーは「わたくし」と言わずに「あたし」と発声していると苦情を呈しておられた。ZARD坂井泉水が、「今宵は、わたくしと一緒に踊りましょう」と麗しく唄いかけていた日々も、今となっては遠い昔のこととなった。


 第3巻の182ページで、祖父の旧居にマルオとヨシツネを案内した際、ヨシツネに「ユキジ、おまえ、父さん母さんは?」と尋ねられた彼女は、「小学校にあがる前に、二人とも事故で死んじゃったの...」と静かに答え、男二人は絶句している。オッチョとはまた違った型の、家族の喪失という心の傷を抱えているのだ。

 ところで、我らの幼い当時は、今のように個人情報やプライバシーに過敏ではなく、児童の名簿には両親の名前や職業まで載っていたし、彼らは小中とも同じ学校で近所でもあるのだから、知らないはずはないと思うのだが、まあいい。大事なのは、ユキジにそういう薄幸な少女という印象が無かったということだ。


 第20巻の厳道館の閉鎖に際して、ユキジは教え子たちに向かって、祖父から「強くなければ生きていけない」と、フィリップ・マーロウのような厳しい躾を受けて育ったと語っている。血の大みそかでも、その後も、怖い、辛いと正直に語る男子の同級生たちと違って、ユキジは決して弱音を吐かない。全会一致、採決不要で、カンナを託すのはユキジしかいなかったのだ。

 この先も彼女は最後の最後まで戦い続けることになる。中島みゆきの初期の作品に「彼女の人生」という曲があり、その歌詞には、「死んでいった男たち 呼んでるような気がする 生きている奴らの 言うことなんて聞かないが」という一節がある。でも、死んだはずの連中は、みんなユキジのもとに戻ってくるよ。歌詞の続きは「彼女の人生、いつでも晴れ」。


(この稿おわり)



上野寛永寺イチョウ(2011年12月4日撮影)