おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

神頼み (20世紀少年 第705回)

 久々に登場する新宿の歌舞伎町教会。第21集の85ページ目。ただ一人、両手をしっかりと握りしめてカンナは何をしているのだろう。お祈りであろうか、それとも懺悔であろうか。かつて、「苦しいときの神頼み」なんてあてにならないと叫んでこの教会を飛び出したカンナであったが、この心境の変化はどうしたことか。後から入ってきたユキジが、「やっぱりここにきてたのね」と言った。

 やっぱりとは何故か。さすがユキジは情報通で「神父さんは、今、ローマに行っているわ」と言う。そして厳しくも「あなたの告白を聞いてくれる人はいないわ。私も聞きたくない」と言い添えている。ユキジもカンナが懺悔に来ていると考えての発言だろう。敵の命もろとも自分も死のうとする子は、私は許さないとまで言った。


 ところで、カンナが最初にこの教会に来たときの理由は、「ローマ法王の暗殺を阻止したいの」であった。さすがのユキジもそこまで予想してはいないと思うが、現在ローマにいる仁谷神父はローマ法王暗殺計画の第二弾を阻止すべく現地で苦闘しているところだ。そのかわり、美味しい中華料理も頂いているのであった。ともあれ神父さんに向かって、苦しいときの神頼みとは、気持ちは分かるが宗教が違う。

 カンナと違って少年時代の父フクベエは、多少なりともキリスト教、特にカトリックに関する知識と興味があった。「よげんの書」は単に少年漫画やアニメの影響を受けただけのものだが、「しんよげんの書」には教会、救世主、聖母とバチカン用語が並んでいる。ただし、キリスト教徒なら西暦の終わりなどという発想は出てくるはずがない。単に利用しただけだろう。


 懺悔あるいは教会での告白とは何か。うちの新約聖書の6ページ目、「マタイによる福音書」第4章によると、洗礼者ヨハネが捕らわれし後、イエスはナザレを去ってガラリアに移り、初めての教えの言葉を語られた。「悔い改めよ。天国は近づいた」。...これだけです。いきなり「後悔して出直せ」と見知らぬ男に言われた人たちも目を丸くしただろうが、ともあれキリスト教の誕生の瞬間である。このあと山上の垂訓が始まる。

 しかし、どうもカンナのユキジに対する態度や、そのあとのケンヂの話題の出し方からすると、カンナは懺悔などという殊勝な行いのために来たようではなく、ケンヂおじちゃんの無事を祈りに来たのではないかという感じがする。ユキジの厳しい叱責に対し、おばちゃんだって銃を持って乗り込んだじゃないと反抗しているし、ユキジにオッチョと二人、カンナを守るためにそうしたのだと諭されると、殴ってもいいよという始末。だが言い争いはここまでだった。


 ユキジは何も説教したくてきたのではない。彼女とて祈りたい気持ちだろう。あなたに何かあったらケンヂに顔向けできないとユキジは泣き崩れてしまう。脳裏をよぎるのは、幼いころの例の思い出、白馬の王子様の突撃シーンである。カンナは何度も「ごめんね」と謝る。この漫画の登場人物たちは、しばしば「ごめんね」と詫びる。謝罪漫画でもある。

 教会の床で抱き合って、ようやくお互いの感情が静まったとき、カンナはカセットを取り出した。機材はさらに壊れていて修理のテーピングも本格的になっている。ラジオから流れているケンヂおじちゃんの歌をようやく録音したんだとカンナは伝えた。その話はマルオから聞いたとユキジは冷静である。「でもまさか、ケンヂが生きてるなんて」と言う。


 オリジナルの「ボブ・レノン」は、2000年12月31日の午後遅くに街頭録音されたもので、その際にケンヂは「新曲」と言っているから、別バージョンが2000年に演奏・録音された確率は極めて低い。となるとグータララ・バージョンが生まれる可能性はおそらく二つで、ケンヂがその後も生きていて編曲し再録したか、別の誰かがグータララをくっつけてカバーしたかである。

 ユキジは「でもまさか」という発言や、実際にカンナの録音を聴いた後の「これはケンヂの歌声」という言葉からして、マルオが言っていた別バージョンは他人の歌声だと考えていたらしい。「変な希望は持ちたくない」というのも、それが裏切られたときの衝撃に耐える辛さを避けたいがためだろう。だが、まぎれもないケンヂの声だったのだ。歌は下手かもしれないけれど、よもやユキジが聴き間違うはずもない。


 ユキジが涙をこぼし、カンナの表情がようやく和らぐ。ともだち歴のカンナの顔つきは緊張でひきつっていたり、冷笑を浮かべていたりと瞳孔が狭くなっているような感じだったが、ようやく若い娘らしい瞳になっている。十字架とその上のステンドグラスに描かれたイエス・キリストが静かに二人を見下ろしている。もうこの二人が人殺しに走る日は来ないだろう。

 かすかに外の光を教会内に導き入れているステンドグラスの窓は、かつてこの二人の女を「最後の希望」と呼んだオッチョおじさんが突入した際に大破した。仁谷神父はちゃんと修理してくれたのだった。ユキジもカンナもよもや知るまいが、ちょうどそのころケンヂは新カンナ・トンネルを伝って東京に侵入し、宇宙人呼ばわりされながらも、東京万博会場を目指している。間もなく会えるはずなのだが、まだまだ三者三様、やるべきことが山ほど残っている。



(この稿おわり)





自信がないけれど、たぶんアヤメ (2013年4月27日撮影)



































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