おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

バケモノさん   (20世紀少年 第196回)

 漫画家角田さんは、オッチョにその職業人生を救われている。角田氏は特別懲罰房に収監されることになってしまった。第5巻の61ページ目、彼は二人の看守に連行されている。看守の帽子に「UHP」と記されているのは、海ほたるプリズンのイニシャルであろうか。

 角田氏は自分が入る独房の前で、隠していた鉛筆を床に落としてしまう。漫画を描いた「凶器」が見つかってしまったのだ。看守の一人が「こういうくだらん手は、つぶれたほうがいいな」と言いながら彼の右手を踏みつぶさんとしたその時、向かい側の独房から先の尖った針金のごときものが伸びて来て、もう一人の看守の目を狙う。その手から足をどけないと、こいつの目を潰すという脅迫があった。


 こうして角田氏は「バケモノ」のおかげで助かったのだが、お向かいさんのオッチョは看守に応援を呼ばれて、せっかく外した手足の鎖をまたかけられてしまう。続いて第4話「バケモノ」は、まず、テトラポッドに囲まれた海ほたる刑務所の遠景から始まる。テトラポッドは普通名詞ではなく、商標登録された一企業の一製品であるため、公共放送はその名を呼ばない。

 続いて、右手を救ってくれた向かいの独房の主に、角田氏がお礼を述べる場面が始まる。しかし、その部屋からは叫び声や呻き声が聞こえてきたので、小心な漫画家は一旦くじけそうになるのだが、速やかに立ち直って問わず語りを続ける。先ずは生業の紹介で、僕は漫画家であると告げている。


 続いて、1990年生まれであること、古い漫画が好きであること、例えば「あしたのジョー」とか「タッチ」とか「がんばれ元気」とか。ジョーは確かに古いが、タッチも元気も古いのか...。あのころから、漫画の主人公の顔は端正になっていく。どうやら彼はスポーツ漫画が好きらしいな。

 ちなみに、角田氏の父上は59年生まれというから、オッチョや私と同年代である。少年マガジンと少年サンデーも59年生まれだそうだ。そうだったのか。しかし、その本棚も手塚治虫の初版本も、すべて血の大みそかに火事で焼失してしまった。気の毒に、ここにも被害者がいる。


 そのあと彼は、このブログで前回、話題にした地球を救うヒーローの話をしてオッチョの失笑を買っているだのが、当然わけがわからないので構わず話を続け、まだそのエンディングを描いていないので独房を早く出て、刑務所に頼んで漫画を描きたいと言うのだが、相手の反応は過酷であった。

 いわく、独房を出るのに2週間かかる。それだけでも漫画家にはショックだったのだが、さらに「お前の命も2週間だ」と予言されてしまう。前例があって、同じように入所直後に独房入りになった囚人は、悲惨な最期を遂げているらしい。そして、漫画を描きたいならここから逃げるしかない、俺に協力するかというお誘いがあった。


 頭を抱え込んで泣き声をあげている角田氏だが、この人は本当に立ち直りの名手であり、うずくまった姿勢のまま「協力しますよ」と返答している。そのとき血の匂いがして、背後に人の気配がした。バケモノがなぜかお越しになったのであった。

 漫画家角田は、漫画家浦沢直樹の分身にあらずして何者たりえよう。彼は脱獄して生き延び、彼なりの「20世紀少年」を描き上げなければならない運命となったのだ。オッチョの人生に偶然はないのだから仕方がないのだ。何のお手伝いもできないが、せめて私はニーチェの言葉を贈ろう。「ツァラトゥストラ」(中公文庫 手塚富雄訳)の「読むことと書くこと」より。

 「いっさいの書かれたもののうち、わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。そうすれば君は知るだろう、血が精神であることを。」


(この稿おわり)


熱海から海ほたるは見えない。釣り中。(2011年11月26日撮影)