漫画家角田は第5巻第3話の「海ほたる」で初登場した早々、生きては還れないと聞かされて気を失ってしまい、目覚めると二人相部屋のベッドに横たわっていた。相棒の話によると、海ほたる刑務所には、「特別懲罰房だけには行かないようにしな」という恐るべき場所があるらしい。
何でも、そこにぶちこまれた奴は、一人を除いてみんな死んじまったらしい。唯一人残っている「バケモノ」は、14年間もそこにいて、ときどき鎖を引きちぎって飛び出して来るし、食い殺された者もいるらしい。ところが角田氏は、相棒にせがまれて似顔絵を描いてやったのが発覚し、相部屋に一晩も泊まることなく特別懲罰坊行きになってしまった。
交流分析という心理療法・理論がある。私は日本交流分析学会の会員であり、まだ勉強し始めたばかりだが、この交流分析における「ストローク」という概念が好きである。
社団法人日本産業カウンセラー協会(私は産業カウンセラーでもあります)の「産業カウンセリング」というテキストによれば、ストロークとは、「その人の存在や価値を認めるための言動や働きかけ」と定義されている。ただし、肯定的なものばかりではなく「価値が低いと認めているぞ」という否定的なものもストロークに含まれる。
言葉を換えて言えば、相手に何らかの刺激を与える人間同士のやりとりと表現しても良いかと思う。なぜストロークには否定的なものまで含めるかと言うと、ストロークは「無いよりは、否定的でも有ったほうが、まだまし」とされているからだ。何も刺激がない場所とは、例えば独房がそれである。
極悪犯人が独房に隔離されるのは、凶暴で危ないというだけではなく、それが何より厳しい刑罰だからでもある。一人きりで閉じ込められるよりは、嫌な思いをしてでも相部屋で過ごした方が、長期的には精神衛生上、よろしいのである。ただし、今の日本の刑務所は、家族からの差し入れや本人が希望する書籍などを入手できるので、独房のほうが良いと思う人もいるかもしれない(私も、そうなったら、そうしたい)。
黒田官兵衛は、摂津の城主、荒木村重を織田方に与力させるべく説得に向かったが、上司の殿様に裏切られて捕縛されてしまう。そして1年ほど独房に放り込まれ、落城で救出されたときには足腰をやられ、皮膚病にも冒されていた。このため彼は、その後の戦場では輿に乗って運んでもらいながら指揮を取り、主君の秀吉からは「かさっかき」というあだ名を頂戴している。
そこまで身体を蝕まれながら、人格や知性が荒廃しなかったとは、よほどの精神力の持ち主であったことだろう。一節によれば、独房の窓から見える藤が花を咲かせるのを観ながら、官兵衛は希望を捨てずに頑張ったらしい。黒田家の家紋の「藤巴」は、主の命の恩人(恩花か)を意匠したものである。
昨年、大型連休のころ旅行した伊豆の山野に咲き乱れていた藤も美しかったが、私が卒業した静岡の竜南小学校の校庭にあった藤棚も優雅であった。クマバチは藤の花が大好きで、あの凄まじい羽音とともに藤棚にも伊豆にも飛来したものだが、この見るからに恐ろしい蜂に刺されたという話を聞いたことはない。単独行であり、スズメバチのように集団で人を襲うような卑劣な真似はしない。
独房の話であった。モンテ・クリスト伯ことエドモン・ダンテスが独房に閉じ込められた期間は、奇しくもオッチョと同じく14年間である。もっとも獄中でダンテスは聖職者と会話を交わすことができたのだから、ストロークはあった訳だ。他方、ショーグンは別の手段を採った。相棒を募っては脱獄に挑戦し続けることで、結果的に心身の健康を維持していた。
そこに、漫画家角田が送りこまれてくる。そして、角田氏は本人も知らずして貴重な情報をショーグンにもたらすことになった。「待つこと。そうして、希望をもつこと」とモンテ・クリスト伯は語った。ショーグンにも「最後の希望」があり、そして待ちに待った機会が訪れようとしている。
(この稿おわり)
熱海に釣りに行きました。風光明媚。(2011年11月25日)