おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

近未来の歌舞伎町 (20世紀少年 第185回)

 私は22歳で就職し、初めて東京に出てきた。当時は映画が大好きで、週末はもちろん、金と時間さえあれば仕事帰りでも映画ばかり観ていたのだが、今のようにシネマックスなどないから、何をやっているか分からずに飛び込みで観に行くときは、映画館の多い新宿歌舞伎町、浅草、日比谷あたりが便利であった。

 当時の歌舞伎町は、すさんでいたという印象が強い。今は亡きコマ劇場の横を通り過ぎ、かつて映画館の立ち並んでいた一画に行くと、昼間でも酔っ払いや不気味な連中が座り込んだり寝転んだりしていた。職場の女性の先輩に、歌舞伎町で映画を観ていると言ったら、勇気があると誉められた(呆れられたか)ような時代である。


 最近の様子は知らない。ただし、一時期、中国系の危ない人たちが増えたようで、東京都、警視庁などが摘発を重ねて、多少、大人しくなったというニュースを聞いた覚えがある。そのころの歌舞伎町は、中国人の好きな赤と黄色のネオンで彩られていたものだ。

 常盤荘では、カンナが歌舞伎町で働いているという情報を金子氏がもたらし、これに対して氏木氏が「命知らずの女だな。歌舞伎町なんて行ったら、生きて帰れんぞ、普通。」とコメントしている。カンナには弾丸が当たらないことを知らないのだから仕方がないが、歌舞伎町は2014年になっても相変わらず「不夜城」状態らしい。


 ただし、この物語の中では、歌舞伎町の中国マフィアの縄張りに、タイ国からのライバルが入りこもうとしているという設定になっている。侵入側のタイの親分は、かつてバンコクでオッチョの暗殺に失敗したチャイポンであるが、せっかく故郷で功なり名遂げた老人が、なぜ歌舞伎町くんだりに進出してきたのかは明らかではない。

 万丈目と密接な利害関係があることは間違いないので、本邦の同業者同様、友民党の影のスポンサーかつボディーガードにでもなるつもりで海を渡ったか? そうだとしたら、とんでもない見当違いだったが、後日、カンナの命を助けるのに彼らも一役買っているから歓迎光臨。

 カンナはこの歌舞伎町にある珍宝楼という中華料理店でアルバイトをしているのであった。店主の珍さんは、訛りからしてもおそらく中国人で、金にうるさいが、中華鍋を振りまわす調理中の姿は堂々としており、料理も美味そうだ。何より、銃声が聞こえるなかで商売を続けているのだから根性が違う。しかし、マフィアの抗争はすぐそばに迫っていた。


(この稿おわり)


近所の西日暮里や田端の高台からは、新幹線を見下ろすことができる。
(2011年11月20日撮影)