おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

王曉鋒 (20世紀少年 第586回)

 カンナの話は、ともだち暦元年の「鳳城樓」という中華料理店らしき建物の中の出来事から始まる。カンナはここに、中国とタイのマフィアから連名で招待を受けてやってきた。「龍虎」とかかれた掛け軸を背中に、中華料理ではお馴染みの回転円卓に座った王曉鋒が「まあかけなさい」とカンナに言った。

 今日はずいぶん人数が少ないのねというのがカンナの第一声。王曉鋒は、こんなものだ、われわれも随分ウィルスにやられてねと応じ、さすがのカンナ嬢も切なそうだ。法王来日時、中泰両国のマフィアは歌舞伎町で自警団を務めたが、法王が無事、仁谷神父の教会を離れた時点で「ショーバイ」に戻っている。万博の開会式に出るようなお目出度い連中ではあるまい。


 相談を始めるにあたり、王曉鋒はチャイポンの欠席を告げている。カンナはまさかと動揺しているが、不参加の理由は「何しろご老体だからね」とのことだった。かつて王曉鋒は、カンナが法王来日前に停戦を呼びかけたとき、また、来日時の共同戦線を張るという動議をしたときも、中国マフィアを代表してタイ側と協同した。

 ただし、どちらかというと先ずはチャイポンがカンナに賛同し、次に王曉鋒が同意するという順序で事が運んでいるため、なんとなくチャイポンのほうが格上のような印象を私は持ったものだが、ここでの王曉鋒はマフィアのボスに相応しい条理と勇気を兼ね備えた堂々たる主役である。


 例のものは持ってきたかと王は問うた。カンナは自分に送られてきたワクチンと注射器のセットを取り出し、自分は打たないから欲しい人がいるならあげると無造作に言った。王曉鋒は「おい」と言った。これだけで通じるのだから大したものだ。手下の一人が丸テーブルにかけてあった大きなカバーを外す。山盛りのワクチン・セット。20人分ぐらいあるか。

 その話を聴いているオッチョが「何があったんだ、その時」と尋ねている。多分しばしカンナが絶句していたのだろう。カンナは「あたしはもう泣かない」と再び話を始めながら涙をこぼしている。


 王曉鋒によれば、このワクチンは郵政庁の車が大福堂製薬から搬出しようとしたところを奪い去ったものだという。山根が死んで、社長は戸倉かな。これが届かないと沢山の人が死ぬのよとカンナは非難するのだが、王曉鋒は動ずることなくワクチンはある所にはどっさりあるのだという。

 確かに”ともだち”はまずウィルスをばら撒いておき、頃あいを見計らって大量に生産・貯蔵してあったワクチンを配布してニセの救世主になったことをカンナも知っている。だから信じた。続く王曉鋒の説明ぶりが実に良い。巷では億単位の「犯罪的な価格」で取引されているこのワクチンをこれからも奪い続け、民衆に「適正価格」で提供するのだという。彼らの専門性を生かした商売だというのだ。


 ついてはやせ我慢して感染を待つなど馬鹿らしいと王曉鋒は言う。巨利を生むであろう商売を続けるためには死ぬわけにはいかないのだ。王曉鋒は、”ともだち”が悪だと主張し続けたカンナが正しかったことを認め、「生き証人」である彼女も死ぬわけにはいかないだろうと諭す。

 「妙な形だが乾杯みたいなものだ」と王曉鋒は言った。彼は全員にワクチンを回す手配をし、カンナに資金の提供を約束して、「あんたと我々の戦いに乾杯だ」と言った。王曉鋒は左腕に、カンナも右腕に打った。彼女はちょっと痛そうな顔をしている。

 こんな歳になっても採血のときなど看護師さんは私に「ちょっとチクッとしますねー」とおっしゃる。こうしてカンナにも免疫ができた。だが、この日の彼女はこの乾杯がマフィアたちにとっては水杯だったことを知る由もなく、極めて残酷な形で翌日その事情を知ることになる。




(この稿おわり)





実家の居間から初日の出 (2013年1月1日撮影)























































.