おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ジミ・ヘンドリクスのギター     (20世紀少年 第102回)

 ジミ・ヘンドリクスが急死してから、ちょうど20年後の命日に、サンフランシスコ最大の新聞「サンフランシスコ・クロニクル」の第一面にちょっとしたインタビュー記事が載ったのを当地で読んだ。語り手は、カナダ生まれの不撓不屈のロックンローラー、二ール・ヤング。

 二ールはこう語っていた。「俺はこれまで何十年もギターを弾きながら、ずっと一つの願い事をしてきた。いつの日かこの俺も、ジミがギターを引いていた境地の少しでも近所に辿りついて、その気分を味わうことができたらと」。近所という表現が素敵である。ネイバーフッドと言っていた。


 ジミ・ヘンドリクスに関する書籍やネット・サイトは日本語版だけも無数にあるので、私は今回、アメリカで買った2本のビデオ・カセットから、彼に関する話を拾おうと思う。一つは前回も触れた1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルの主要出演者の演奏などを収録した「MONTEREY POP」というシンプルなタイトルのフィルム。

 もう一つは、ロック・ファンならお馴染みの専門誌「Rolling Stone」が製作したビデオで、「ROLLING STONE PRESENTS TWENTY YEARS OF ROCK & ROLL」というタイトル。

 1987年に売り出されているので、この「20年」というのは1967年からのこと、すなわち、モントレーの年であり、あるいはビートルズBBCの衛星放送で、世界に向けて「愛こそはすべて」を演奏した年である。


 この「ローリング・ストーン」のビデオの中で、二ール・ヤングはジミについて、「女の体のようにギターを弾いた。彼が演奏し始めると、そこら一帯が感電したようになる。いやはや、Totally out of control.」と回想している。

 また、ジミがギターを歯で演奏しているシーンも収録されている。「20世紀少年」第4巻の70ページで、中村の兄ちゃんがオッチョ少年にギターを歯で弾いて見せ、「最後のソロを歯で弾くところがミソなのです」と威張っているが、兄ちゃんの独創ではない。

 
 傑作なのは、グレイフル・デッドのジェリー・ガルシアのコメントだ。ジェリーさんはこの当時、まだ元気に御存命で、髪の毛もヒゲも真っ白、笑顔の良く似合うおじさんになっていた。デッドはベイエリアのバンドだけあって、ロック・サウンドとしては、比較的、マイルドであった。ご当地バンドとあって、モントレーのフェスティバルに出ている。

 ガルシアおじさんは楽しそうに昔を語る。「モントレーでは、俺たちのバンドは出演の順序に関して、ちょっとした災難に遭った。出番の直前がザ・フーで楽器を壊して暴れるし、後ろはジミ・ヘンドリクスでギターを燃やしよった。おかげで全然、目立たなかったんだぜ。」

 確かに目立たなかったらしく、もう一つのビデオ「モントレー・ポップ」では、グレイトフル・デッドの出演場面が収録されていない。ザ・フーが「マイ・ジェネレーション」の演奏中、ピート・タウンゼントがギターを叩き壊し、キース・ムーンがドラムスを蹴り倒すシーンはもちろん出て来る。


 モントレージミ・ヘンドリクスは、ザ・エクスペリエンスという3人構成のバンドで登場した。「Wild Thing」の演奏場面が収録されている。歯は使っていないが、ギターを背中側にまわして後ろ手で弾いたり、コードを押さえる側の右手を手放して何フレーズか演奏したりと大活躍です。

 とうとう最後に、何やら容器を取り出してガソリンのような液体をステージに置いたギターに振りかけて、マッチ(地味ですな)を摺って落し、本当に自分のギターを燃やしてしまった。そのあとで、このギターを叩き壊し、分解して一かけらずつ客席に投げている。例えばバイオリニストが間近でこんなのを見たら卒倒するだろうな。


 第3巻の178ページ目で、ともだち一味による放火で自宅兼コンビニを焼かれてしまったケンヂが、焼け跡から姉貴にもらったギターがまる焦げになってしまったのを拾い上げて、「まるで、ジミヘンのギターだ」と言っているのは、ジミがモントレーその他でギターを燃やして回った古事に拠る。

 私はギターが下手なので、ジミがどれほど優れたギタリストなのかを、自分の言葉で語ることができない。ただし、どんなロックでも大音響で聴いてきた私が、ジミ・ヘンドリクスだけは音量を下げても何曲か続けて聴くと、頭が痛くなってくるというのは尋常のことではないと思っている。



(この稿おわり)



わが家の睡蓮の花。世界で一番、小さなスイレンの花かもしれない。
(2011年8月26日撮影)