おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アパート帰っても♪  (20世紀少年 第629回)

 ケンジが奪い返したギターは、かつて姉ちゃんにもらったエレキ・ギターではなく、何度か描かれているステージで使っていた黒っぽいギターだ。幸い大切な商売道具を失わずに済んだものの、仕事は失った。目当てのバイトにも他の仕事にも有りつけなかったようで、夜道のケンジは腹を空かせている。

 やむなく歌でも歌うかということになったらしく、アパートに帰っても何も食うものがないと歌い始めた。自活しているのは立派だが、あまり豊かではないらしい。そして自分で名曲とかミリオンとか高い評価を与えて喜び驚いている。ギターを取り返した甲斐があったようだ。


 幸い私は社会人になって以降は食い物に困るほどの貧乏をしたことがない。ただし学生時代はしばしば生活費が底をつき、隔週給のアルバイトで生きていたころは大変な目に遭うこともあった。朝飯は抜き、昼は「かっぱえびせん」一袋だけ、夜はバイト先の賄いで素うどんだけという食生活を続けていたら、一週間ほどして血尿が出た。腎臓あたりを痛めたのだろうか。

 このときは、動く力も失せて下宿の畳に倒れ込んでいたところを友人に発見され、五千円借りて生き延びた。危うく新聞に「孤独な学生、下宿で餓死」などと書かれてしまうところであった。友人同志が質屋で顔合わせしたなどという時代でした。


 若いころ何年もギターの練習をしたのに、全くモノにならなかったほど、私には音楽の才能が無い。従って、作曲家がどのように作曲するのかよく知らない。普通は後にケンヂ自身がやってみせているように、好みの楽器を鳴らしながら曲作りをするのではなかろうか?

 しかし、ここでケンヂは歩いている途中でインスピレーションを得た。忘れっぽい人は自分で編み出したコード進行まで忘れるのであろうか。ケンヂは慌ててギターをケースから取り出して、どうやら体で覚えようとしている。でも邪魔が入った。その件は次の話題にするとして、今日の締めは雑談。


 残念なことに本をなくしてしまったようなのだが、昔ある雑誌がロック・スターのインタビュー特集を文庫本にして売り出したので買って読んだ。その中でジミ・ヘンドリクスが、いろんな曲が頭の中でガンガン鳴っているので、どんどんギターで外へ引きづり出さないと気がおかしくなりそうだと語っていたのを覚えている。

 これとそっくり同じようなことを、モーツァルトも確か父親あての手紙の中で書いている。彼の場合は手段が五線紙という違いだけである。天才も大変らしい。しかしケンヂの場合はどうやらそれほど次々と曲がわき出てくるほどではなく、アパートに帰っても食うものがないとか、カレーの匂いとかお気に入りのコロッケとか、どうやら曲想と食欲が直結しているらしい。悪くない。



(この稿おわり)


 
冬来たりなば春遠からじ。水仙はそんな時季に咲く。 
(2013年2月11日撮影、友の法事にて)















































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