サンフランシスコの南方に、かろうじて日帰りできるくらいの距離があるが、海岸沿いにモンタレーやカーメルという小さな美しい都市がある。2,3回、ドライブで訪れた覚えがある。その直前まで、カーメルの市長はクリント・イーストウッドだったのだが、当時すでに交代していた。
モンタレーは、半世紀以上の歴史を誇るジャズ・フェスティバルの開催地として有名である。ジャズはもちろんブルースやソウルも演じられており、アメリカ黒人音楽の最大の祭典であろう。
昔の出演者の顔ぶれでも見ますか。ジャズには詳しくない私でさえ知ってる名前だけでも挙げよう。第1回はケンヂたちが生まれる前年の1958年。ビリー・ホリデー、ルイ・アームストロング、ソニー・ロリンズその他。
続く10年間に、カウント・ベイシー、サラ・ヴォーン、デューク・エリントン、ジョン・コルトレーン、マイルス・デービス、ハービー・ハンコック、B.B.キング、マディー・ウォーターズ、ビッグ・ママ・ソーントン...。
「20世紀少年」に何回かその名が出てくる「ウッドストック」は1969年だが、その2年前の1967年に、このジャス・フェスティバルにあやかって、「モントレー・ポップ・フェスティバル」という、先駆的なポピュラー音楽のお祭りが同地で開催されている。
全部で3日間であった。朝から晩まで、やったらしい。初日には、アニマルズ(このころのギタリストは、後にポリスに参加したアンディ・サマーズという芸達者)や、サイモン&ガーファンクルなど。記録では「サウンド・オブ・サイレンス」も歌っている。
2日目は、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(このバンドのボーカルは、ジャニス・ジョプリン)、バーズ、ジェファーソン・エアプレイン、オーティス・レディングほか。オーティスは、この年に飛行機事故で亡くなった。私は湖から引き揚げられたばかりの、彼の亡骸の写真を持っている。綺麗な顔のままだった。
3日目が豪勢で、ラヴィ・シャンカール(ビートルズのインド音楽の師)、再登場のジャニスのバンド、バッファロー・スプリングフィールド、ジミ・ヘンドリクス&ザ・エクスピリエンス、グレトフル・デッド、ザ・フー、スコット・マッケンジー、ママス&パパス等。
オッチョが中村の兄ちゃんに教わっているように、このころはヒッピー・ムーブメントの花盛りで、このときスコット・マッケンジーが歌った「花のサンフランシスコ」の歌詞が、その様子をよく伝えている。「サンフランシスコに行くのなら、髪に花の飾りをお忘れなく...」。
67年の夏は「サージェント・ペパーズの夏」でもある。同年6月(私は小学校に入ったばかり)に、ビートルズが放ったLP「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の楽曲は、全米どこに旅行してもラジオから流れていたという(出典「ジョン・レノンの軌跡」)。
「20世紀少年」に出てくるロック・ミュージシャンの何人かは、このフェスティバルやウッドストックで顔が売れた。ジミ・ヘンドリクスとジャニス・ジョプリンもその中に数えてよかろう。もはや遠い昔の出来事であるが、モントレーのフェスティバルは、部分的ながらフィルムに収録された。
何がきっかけになったか全く覚えていないのだが、私はカリフォルニアに住んでいたころ、その様子を収めたカセット・ビデオを買った。今でもDVDで売られているフィルムとは名前が違うので、貴重な別物ではないかと思う。それは今も我が家にあって観ることができるのだから、長生きはするものだ。長くなったのでジミのギターについては次回に続きます。
(この稿おわり)
行く夏や昭和も遠くなりにけり (2011年7月14日撮影)