おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Get back to where you once belonged.   (第992回)

 主人公ケンヂが、近所迷惑にも真夜中のギターを奏でるシーンは、漫画にも映画にも出てくるが、両者やや設定が異なる。とはいえ、いずれも大筋では景気づけというか、進軍ラッパの征露丸というか法螺貝というか、勇を鼓すための音楽である。

 映画では、焼け跡から「よげんの書」を発掘したあとで、おそらく真っすぐマルオのファンシー・ショップに向かっている。夜も更けて店主はすでにパジャマ姿であったが、シャッターを上げるとケンヂが肩で息をしている。


 その姿を見てマルオが掛けた一声は、この映画のセリフでも屈指の出来栄えだ。活字にすれば簡単で、彼はケンヂに「大変だったな」と言っただけだ。もちろん火事のことを言っているのだが、自宅店舗の全焼や葬儀のような生活の根幹を揺るがす一大事が起きたばかりの人に対して、「大変だったな」という一言で終えるのは簡単ではないが、どんな雄弁よりも心がこもっている。

 ケンヂは本当に大変な様子であり、むかしお前にやったギターはどこだと一方的に怒鳴り、マルオが即答できなかったため、泣いているカンナを押し付け、無断で他人の家に押し入り、なぜか正しく二階に真っすぐ進んで物置部屋のようなところに入り込んでいる。


 一階の店も二階の小部屋も、ピンク色のウサギがあちこちに居り、ケンヂが後に同じ色をした同じ動物の被り物姿で渋谷を闊歩していたところをみると、ここで感染したか。ともあれ彼は、掘り出し物のスケッチブックは取りあえず脇に置いて、またも勝手に押し入れを開け、夜遅いというのにエレキ・ギターを弾き出したのであった。

 どうやら最初は、Tレックスの「20世紀少年」のイントロをストロークで弾いているらしい。そのあと段々とジミ・ヘンドリクス張りのフリー・フォーム・スタイルに移行する。なぜかヴォーカルは無し。そのあと少し気が済んだようで、座り込み「よげんの書」を読んでいる。ナレーターは、主筆のケンヂ少年。過去の自分に、あおられているのであった。


 漫画の経緯は少し違う。ドンキーからの間接ダイイング・メッセージを託されてしまい、取りあえず走り出して現場から逃げ、自宅に引きこもって状況を整理し始めた。最初にギターありき、ではない。彼の居室には、先般モンちゃんたちと掘り出したカンカラが置かれている。かつて解散式の言いだしっぺとして、解散の辞の責任を取らされたものだが、今回は現物保管の担当。

 ビー玉やナショナルキッドのメンコ、ヘビとカエルの動くオモチャ、チキン・ラーメンと平凡パンチなどに今宵は用が無い。まずは階下でお母ちゃんを蹴散らして引っ掴んできた新聞により、ロンドンの被害を知る。続いて、腹を刺された男からの餞別であるレザーぢゅうと、その原画の確認。そして、まだ見ぬ巨大ロボットの予言の絵。嫌な材料が充分にそろった。


 最初のうち、ケンヂはドンキーの不幸に泣いた。そして泣いている場合ではないことも分かって来た。映画には無いが、彼には簡単操作で無敵になれる「武器」があった。中学生のときに、お姉ちゃんがデート権との物々交換というAKB的な手法で入手したギターである。

 それは今も押し入れにある。やがて戦災に遭うのだが、今のところ無事。彼はそれを弾きながら、何となくビートルズがアップル社の屋上で演奏した「ゲット・バック」のことを思い出している。きっと商店街では今ごろあの時と同じように、大音響を聴いて人々が集まっている。連想したのだな。そして彼のファイティング・スピリットは、ドンキーらと共に最凶の双子と戦った時代に戻った。


 のちに映画「レット・イット・ビー」として劇場公開される1969年のビートルズのセッションは、前半がスタジオ内、後半が例の屋上の演奏会である。コンサートと呼ぶ人がいるが、単なる身内だけの学芸会みたいなものだ。何でも茶化さないと気が済まないジョン・レノンは、「オーディション」と呼んでいた。

 前にも書いたと思うが、私はこの映画を映画館で見ているし(ただし、封切りのロードショウではない)、テレビでも二三回は観た。なぜかDVDやブルーレイにはなっていない。ネームバリューのみでも採算は取れると思うのだが、出来が悪すぎるか。


 ネットでは、法的にか実質的にか知らないが、商品化の決定権を持っている(はずの)ポール・マッカートニーが、ジョージ・ハリスンとの言い争いの場面を公にしたくなくて妨害しているという噂がずっと前から、まことしやかに書き込まれている。

 確かに見てくれのよいシーンではないが、私はつい最近、マーチン・スコセッシが監督したジョージ・ハリスンの伝記映画、「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」で、その場面を久しぶりに観た。要はその場面だけの事情ではなかろう。ジョンは解散後にこの映画をサンフランシスコで観て泣いたと言っていた。ビートルズの終焉とその後の騒ぎは無残なものだった。


 その映画の中で、プロデューサーのジョージ・マーチンが、「ジョンとポールの曲作りは、コラボレーションではなく、コンペティションだった」と語っていたのが大変、印象的である。なるほど最終作の「アビー・ロード」は、そういう観点からすると、よくできたコラボレーションなのだろう。

 この69年のセッションは、最初のうち「ゲット・バック」という海賊版かもしれない輸入盤LPとして日本でも売られ、私はそれを買って聴いた。イントロで水鳥の力強い羽ばたきが聞こえる「アクロス・ザ・ユニバース」の別バージョンが入っていた。


 これが何故か、曲目も入れ替えがあったうえに「レット・イット・ビー」というタイトルに変わり、順序としては「アビーロード」の発売、ポールの脱退宣言、そして映画とレコードの「レット・イット・ビー」の発表ということになった。「昔に帰ろう」から、「放っておけ」になったというのは、適切といえば適切な変更なのだろう。

 ともあれ、ケンヂは地球を救うことに決めた。そして古人曰く、攻撃は最大の防御なり。戦う仲間は、どうしたことか野球チームと同じく9人と指定されてしまっており、ケンヂは取りあえず、戦力よりも頭数を優先したと明言したら失礼だが、時間もないのでマルオとヨシツネに声をかける。そして、次にもう一人、危ない賭けだがバンコクの男。


 それがたとえ、カメラを前に借の姿を見せただけだったとしても、屋上でのポール・マッカートニーはもちろん、ジョン・レノンもギターを抱えて溌溂としている。単独で商品にできなくても、あれは何等かの形で後世のファンに見せてやらにゃいかん。もともとビートルズは、完全主義とは程遠いバンドだったのだから。

 これがスタジオ外で演奏する最後の機会になるであろうことは、当事者のメンバーが一番よく分かっていたはずだ。ビートルズ大好きのポール以外は、すでにソロ活動や映画を優先するようになっている。されど屋外で歌ったのはジョンとポールだけで、ゲット・バックのソロもジョンが弾いている。ジョージはコーラスを少しだけ、リンゴは太鼓に専念している。


 これが1969年の1月。ウッドストックの半年前だ。アップルの屋上の昼休み。あのライブは、レノン・マッカートニーの解散式なのだ。そして設定上は4年後の1973年の夏。第四中学校の屋上の昼休み。映画のケンヂ少年は、アドリブ共作の第一号グータラ節の出来栄えにご満悦で、カツマタ君にレノン・マッカートニーみたいに売り出そうぜと誘っている。

 カタカナにすると、カツマタ君の名が、何となくマッカートニーに似ているが偶然だろう。それより、あのヴァーチャル・アトラクション、強制終了してはいけない。






(この稿おわり)






近所に立つ沙羅双樹の木。ニルヴァーナ
(2015年9月30日撮影)









 俺たち二人 行くあても無く
 誰かが懸命にかせいだ金を使う

 思い起こせば 来し方と比べると
 これから共に たどる道はわずか

     ”Two Of Us”  The Beatles








原っぱの埋葬品














































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