この作品に何回も出てくる「スプーン曲げ」に関する総論的な話は、7月25日付の第51回ですでに触れた。そのときに出した結論、すなわち、「この物語は科学空想小説であり、その世界ではスプーンは超能力で曲がる」という前提は、今も変えるつもりがない。
今回は第3巻のクラス会で、関口先生が口火を切った小学校時代の給食スプーン曲げ騒動について。昭和時代、評判の悪かった先割れスプーンは、悪童がいたずらしても傷まないように、とても頑丈なスプーンであった。それが何十本も、グニャグニャに曲がっているから、子供のちょっとした悪さでできる技ではない。
クラス会でのケンヂはフクベエとの会話に夢中で、幹事のくせに先生の到着に気付かず、あれこれ先生にからかわれているうちに、刑事がこのクラスのことを尋ねにきたという話題になった。
そのとき先生が思い出した、給食のスプーンがことごとく曲げられていた事件について、先生は犯人を覚えていないという。第1巻の104ページ目から、先生の回想が始まる。私も小学校で何度か経験したが、生徒全員に目をつぶらせて、挙手させる方法で下手人を突き止めようとしたのだ。
私はこのシーンにちょっと違和感がある。生徒を見つめる関口先生の顔のアップに2コマ使われているのだが、いずれもメガネしか描かれておらず、彼の目は描かれていない。この作品独特の表現方法で、他の例では、第4巻にヨシツネが辞表をたたきつける場面がでてくるのだが、このときのヨシツネもメガネだけで目の描写がない。
関口先生は何を見て、何を考えたのだろうか。何か特別なことが起きたのではなかろうか。この作品では、メガネは口ほどにものを言い、なのだ。
それに、「うん、そうか、わかった。みんな目を開けろ」という、先生のセリフも、考えようによっては、あまりに簡略である。あれほど記憶力の良い関口先生が、これほどの出来事の当事者を覚えていないというのも不自然である。ここで私が、いくら悩んでも仕方がないが...。
その点、元クラス委員グッチィの提案で、再度このクラス会で行われた目隠し挙手テストは、先生の反応にはリアリティがあって、いかにも誰かが手を挙げた様子である。
この結果については、第12巻でヨシツネが関口先生に電話して犯人の名を聞き出している。「悪い予感が当たった」ということは、彼とユキジの想像どおり、フクベエだったのだ。
もっとも、正確を期せば、「このとき先生がフクベエと認識した男」であって、ケンヂの隣に座っている男なのかどうかは分からない。
また、第12巻で忍者ハットリくんのお面を付けたフクベエが、「僕は手を挙げたのに誰も見てくれなかった。みんな見てよ」と山根、オッチョ、漫画家角田に訴えているのだが、これが小学生時代のことなのか、クラス会のことなのかも分からない。
そこまで、ややこしく考えなくてもよかろうとも思いたいのだが、いずれもフクベエが手を挙げたと仮定すると、ではなぜ、彼は12歳のときに、万丈目が企画したテレビのスプーン曲げ少年の機会に、失敗したのだろうか。それとも実際に曲げたのは別の誰かで、手を挙げたのがフクベエか?
真相はフクベエと関口先生の両方から事情聴取しなければ分かるまい。無駄な抵抗は、ここまでとしよう。フクベエ12歳の出来事はまたその時に語るとして、給食スプーン曲げ事件は、どうやらこのまま迷宮入りになりそうな気配。
(この稿おわり)
わが故郷の名門、清水港のエスパルス。さらば、真田。お疲れさまでした。
(2011年8月19日撮影)