おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

”ともだち”とは誰か? 三つの仮説     (20世紀少年 第88回)

 ”ともだち”とは誰なのか、われながら最後まで決定的な結論を出せそうもない気分の中で、それでも、この物語を読んで感想文を書く以上、避けて通れない課題です。

 そこで今回は、これに関連して三つの問いを自らに課し、それぞれに対する現時点での回答案、つまり仮説を立ててみます。今日は総論。次回以降は、三つの問いについて、それぞれ各論を展開します(なんだか学術論文みたいだが、そんな緻密なものではないです。念のため)。


 問1: ”ともだち”は、何人いるのか。

 これに対する回答案として、(A)1人、(B)2人、(C)3人以上のどれかについて、次回、検討します。私の仮説は(おそらく、多くの読者と同様)、(B)案の2人です。


 問2: ”ともだち”が2人だとして、1人目は誰で、2人目は誰か。

 これに対する回答案は、まず、1人目はフクベエ。これについては他の読者にも異論は少なかろうと思いますが、私としては、次の問3において、ちょっとした整理を試みたい部分があります。

 さらに、2人目については、現時点では、ケンヂがそう言っているのだからという極めて根拠薄弱な理由により、カツマタ君であるとの仮説に立ちます。


 問3: 第3巻のクラス会に登場してから、血のおおみそかに至るまでのフクベエは、同級生の服部なのか。

 そんなの当り前と片づけたいところだが、このブログの最初のころ、どこかで書いた覚えがあるように、本当に両フクベエが同一人物なのか、その確証があるのか無いのかを考えたい。

 確証があってもなくても、この問いは、なぜフクベエは1997年のクラス会でケンヂに接触し、「自宅」を見せているのか、あるいは、2000年の血のおおみそかにおいて、なぜフクベエは危ない橋を渡ってまで、ケンヂらと行動を共にしたのかといった問題を解決する(といいな)ための契機としたいがためである。


 最後に、繰り返しますが、今回および以後3回にわたる仮説の検証というのは、今後の理解を深めるための仮の設定に過ぎません。反証や、より説得力のある異見が出てくれば、そちらに乗り換えます。われながら楽しみな作業です。

 しかし、この漫画は、こんなに理屈っぽく読むべきものなのか、自分でも、よう分からん。



(この稿おわり)

睡蓮鉢の水草に、小さな花が咲きました。(2011年8月17日撮影)