このクラス会の日付は、わからない。ユキジが案内状の元原稿を作り、ケンヂにコピーと郵送を頼むシーンが第2巻に出て来たが、「すごしやすい季節」になり、つきましては、「昭和46年度卒業6年3組クラス会」を開催したいと書いてあるのみで日程が隠れている。
別に日付が分かっても分からなくても大勢に影響はないのだが、この日を境に、ケンヂやユキジ、フクベエやマルオやヨシツネ、カンナやお母ちゃんの運命が、そして、日本と世界の運命も、みな後戻りできない方向に変わってゆくのです。
クラス会は割烹亀吉で無事、始まったが、言いだしっぺのユキジが来ない。ケンヂは怒って電話を架けているのだが、こんなときに限って、ユキジの「バカ犬」、麻薬犬のブルー・スリー号が、成田空港で「白い粉」を見つけちゃったのであった。
宴席に戻りながらケンヂは、「クラス会は、とても例の話を切り出せる雰囲気じゃなかった」と一人ごちている。例の話とは、ともだちや「よげんの書」を話題にしたうえで、「仲間を募る」計画のことであろう。ケンヂが、とても無理と諦めているのは、誰が誰だか分からないから、らしい。
何十年振りなのだから、それはそれで仕方がない。しかし、発案者のユキジが公務で参加できない以上、この場を取り仕切るべき幹事役は、当然、呼び出しをかけたケンヂである。仮にそうでなくても、彼にはそうする必要があった。
この日の深夜、ケンヂに叩き起されて、サダキヨ情報を求められたマルオが、「あれは自己紹介させなきゃ」と指摘しているように、仲間を募るという計画を持ちながら自己紹介さえなかったというのは、幹事かつ救世主の失態というほかないな。やれば、さぞかし面白かったろうに。
私はすでに、このブログの第3回と第4回(今年の6月14日)で、このクラス会に出て来る何人かが、後に再登場しているのではないかという記事を書いているので、その点は重複を避ける。この会での重要な出来事は二つ。一つは、フクベエとケンヂの会話。もう一つは、関口先生が口火を切った「給食のスプーン曲げ事件」の顛末。
まずは前者に触れますが、その前に今この時点で考えておきたいことがあります。フクベエが出てきたのを機に、ともだちとは誰かという問題に対して、論点を整理し、それぞれについて仮説を立ててみたいのです。つまり、簡単にいうと第3巻の途中まで読み込んできた段階で、私がどう思っているかをまとめます。
(この稿おわり)
油蝉の写真を撮るには、それ相応の忍耐と幸運が必要であると思う。
(2011年8月16日撮影)