おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

因果関係と責任問題について     (20世紀少年 第86回)

 不祥事を起こした企業や官庁の記者会見において、近ごろお馴染みの言上といえば、「結果として、このような事件(または事故)を起してしまったことにつきましては、まことに遺憾でございます。」と相場が決まってきたようだ。

 特に、「遺憾」の連発は見苦しい。広辞苑によれば、「遺憾」とは「思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。」とある。これは絶対に、お詫びの言葉ではない。マスコミも頭を下げた写真だけ撮れば満足らしく、追求することはない。まあ、追求しても想定問答どおりの反応しかないのだろうが。

 さらに気に触るのが「結果として」、あるいは「結果的に」という表現の横行である。これと「遺憾」を組み合わせたとき、その意味するところは、「当社の組織体制なり作業場のミス等が、事件・事故を招いたという因果関係だけは認めますが、法的にも道義的にも責任はありません。残念でした。」となる。50年、日本人をやってきた以上、そう感じざるを得ない日本語の表現である。


 第3巻第5話の「クラスメート」には、第169回ともだちコンサートにおいて、余りに面白くなくてケンヂを激怒させた出演者の一組、「よきにはからえ」の漫才コンビが出て来る(もっとも、十数年後に再結成したときは、小泉響子に大受けしているが...)。場所は大阪なんば、「お笑いの殿堂」。

 彼らは、どうやら漫才と悪行のリハーサルを行っている様子なのだが、あいにく通りかかった警備員に見つかってしまい、急遽、予定を変更して、その夜警さんにウィルスだか細菌だかを振りかけて逃亡してしまう。あわれガードマンは、全身から出血してお亡くなりになる。


 次のシーンでは、「『お笑いの殿堂』に衝撃」、「謎の病原体、日本にも上陸か」というタイトルの新聞記事を見せながら、ケンヂがユキジに「それも、俺が考えたことだ」と語っている。大勢の人が死んだのも、ドンキーが殺されたのも、みな自分のせいだとケンヂは云う。

 ユキジは、後に多くの関係者がケンヂに言い聞かせようとするのと同じように、子供のころなんて誰でもそんなことを考えるのだとか、そもそも悪の組織を滅ぼそうという話だったのだろうと説得を試みるが効かない。ケンヂは因果関係だけで悩んでいるのはない。そこらの経営者や高級官僚とは違って、責任を痛感しているのだ。

 
 この場面での、ケンヂとユキジの相談内容は、論点が三つある。まず、先般、ケンヂが土壇場で欠席し、おかげで白馬に乗った王子様の座から滑り落ちてしまった市原弁護士主催の「被害者の会」に参加して、情報提供すること。これは良策だったが、その前にケンヂは家を焼かれてしまい、家族ともども潜伏せざるを得ず、残念ながら実現しなかった。

 二つ目は、ユキジからの当然の要請であるが、「よげんの書」の内容を思い出して、ともだちの動きを事前に封ずる作戦である。しかし、ケンヂは例のごとく例によって、何も覚えていないのであった。


 さすがのユキジも、ここでは「バカね」とは言えず(言いたそうな表情にも見えるが)、「とにかく仲間を募ろう。明日はいい機会だわ」と提案するのだが、ケンヂは明日の予定も忘れているのであった。幹事の一人なのに。最初は、オッチョの行方を探るのが主な目的だったクラス会が、いよいよ開催される。


(この稿おわり)


朝顔ばかり誉めていたら、昼顔も元気に咲いていたのであった。
(2011年8月16日撮影)