おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ともだち対ケンヂ 緒戦の結末  (20世紀少年 第85回)

 この長編漫画はケンヂたちと、ともだち一派の戦いがストーリーの主軸なのだが、その代表選手同士の戦闘場面は殆ど全くなく、面と向かって話をするシーンすらほとんどない。

 その最初の場面が、この第169回ともだちコンサートのステージなのだが、ケンヂは相手のお面姿にペースを乱されてしまい、まずは怒鳴りつけてみたものの、サンフランシスコとロンドンの次はどこだっけ?と訊かれて、素直に大阪と答えてしまっている。


 これを受けたともだちが、手をうって「そうか大阪だ、そうだったよね」と合点してみせているのは、この場でケンヂを「予言者」に仕立て上げるためのジェスチュアであろう。そう紹介されてしまい、会場はケンヂ・コールに包まれる。

 ケンヂはここで、ともだちは人殺しだとか、レーザー銃まで作っているとか、懸命に訴えるのだが、聴衆は笑うばかり。ケンヂが「レザーぢゅう」をともだちに向けて、ようやく会場がざわつき始めるのだが、肝心のともだちは落ち着きはらっている。


 「君には絶対、撃てない理由があるよ」というのが根拠であるらしい。ここで、ケンヂはともだちに、カンナがともだちの娘であり、ともだちが彼の義兄であるというとんでもない告白を受けてしまい、信じられない内容だが真正面から信じた。

 そのあとはボディガードたちに客席に放り投げられ、観客に胴上げされて、しかも運動会の球送りのように運搬されて、会場外に放り出されてしまう。緒戦は、ともだち側の完勝と言わねばならない。

 
 茫然自失で会場外に座り込んだケンヂの脳裏に、前回も触れたとおり、忍者ハットリくんのお面をかぶって、「ケンヂ君 遊ぼうよ」、「遊ぼうよ、ケンヂ君」と声をかけて来る少年の姿がフラッシュ・バックのように現れる。

 これも前回で触れたように、バーチャル・アトラクションを除けば、この物語の登場人物たちの少年時代が描かれているシーンにおいて、忍者ハットリくんのお面をかぶった少年は一切、出てこない(はずだ、私の記憶によれば)。


 ということは、ここでは、ケンヂの記憶の中で、少年時代にお面をかぶって、うろついていた子供が身近にいたという記憶と、つい先ほど見た忍者ハットリくんのお面の印象が、ごっちゃになったのかもしれない。

 彼のみにあらず、他の登場人物も読者も、最後の最後まで、お面の主に振り回されて終わる。のっぺらぼうと併せて、「顔の無い人間」というのが、不気味なテーマになっている。それが何を意味するのか、ただそれだけの話なのか、今はまだ何とも書けません。今回は歯切れ悪く終わろう。


(この稿おわり)


8月16日撮影。当日は混んでそうなので、翌日にお参りしました。菊を献花してきた。