おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ヤマさん     (20世紀少年 第56回)

 第2回第4話の「ヤマさん」は、ともだちとケンヂが小学校の同級生だった事実を把握したチョーさんが、再びケンヂのコンビニエンス・ストアを訪問するところから始まる。しかし、ケンヂは本社の担当に指導されている最中だったので、チョーさんは営業妨害を避けて、ケンヂと会わずに去ってしまう。

 もしも、このとき最初の捜査時のようにケンヂが一人で働いていたならば、ともだちの本名はチョーさんの口からケンヂに伝わっただろう。同窓会は大騒ぎになったはずだ。あるいは、ケンヂまで”絶交”される破目になったかもしれない。「あーそーびーましょー」どころでは、なくなるだろうからな。


 チョーさんとヤマさんの会話は、チョーさんと「絶交中」だった娘の裕美子さんからの電話で中断する。孫の誕生パーティーに招待されたのだ。感激しながらも動揺するチョーさんに、ヤマさんは「大丈夫。自信持って」と先輩の首筋のあたりを叩いて送り出すのだが、これが殺人ウィルスの注射であった。

 このあとで、ヤマさんが”ともだち”本人か団体の上層部に対して電話連絡を入れているのだが、「私の言動から面倒なことになってしまい」と詫びており、また、「私がもっと早く、ともだちと出会っていればこんなことには...」とも語っている。淡々と話している。心が死んでいる。

 「私の言動」とは、第1巻で二人の刑事が、敷島一家失踪事件と金田少年変死事件を関連付けて語っていたシーンでのことを指しているのだろう。同じ1997年の半そでの季節なのだが、多分このわずかの間にヤマさんが”ともだち”に入信したために、チョーさんは非業の死を迎えることになった。


 ところで、チョーさんの引継話の中に、関口先生を訪問した際のエピソードが含まれている。給食のスプーン曲げ事件のことを、先生が思い出して語ったのだ。ヤマさんの「思い出したんですか、先生は。誰がやったのか」という質問に、チョーさんが「それがな」と言いかけたところで携帯電話が再び鳴って、この話は途切れてしまう。

 一般に、接続詞の「それがな」に続くのは、否定的な内容であろう。先生は思い出せなかったか、思い出しても話そうとしなかったかのどちらかではないか。第3巻のクラス会での発言を真に受ければ、思い出せなかったらしい。しかし、どうも気になるな。

 
 関口先生は、のちに数十年振りにサダキヨと再会した際、すでに年老いて施設に入っており、しかもサダキヨは5年生の1学期しか在籍しなかった教え子なのに、彼の名前を思い出し、写真まで取り出して見せている。クラス会では、ケンヂが10年ほど前にテレビに出ていたことも覚えている。

 先生の記憶力は決して悪くないし、生徒思いの教師だったことは間違いないと思う。その先生が、これほどの大事件を起した生徒の名前を忘れるものだろうか。給食スプーン曲げ事件は、詳しくはそのクラス会のところで触れるが、結局、謎を残したままになってしまう。



(この稿おわり)


博物学が好きと宣言した割に、私は植物の名前に疎い。この花の名も知らない。
(2011年7月25日撮影)
























































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