おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

健児はケンヂか?     (20世紀少年 第55回)

 今回は作品の本筋から、ちょっと脱線します。現代の日本語では、健児という名の読み仮名は「ケンヂ」とは表記せず、「ケンジ」になるはずである。しかし、この物語では会話も署名もすべて「ケンヂ」で統一されている。今のわれわれは、「ヂ」や「ぢ」という文字を滅多に使わないし、発音もできない。

 チョーさんが見つけた卒業写真集のケンヂの本名は、「遠藤健児」である。読み方を検討するにあたり、ここは「広辞苑」にお出ましいただこう。この辞書は、こういう点に関しては「今さら引きさがれるか」という根性を見せており、その説明も実に詳しい。見やすいように、ちょっと加工してご紹介。

 【ぢ】 「ち」の濁音。(中略)子音{dz}と、母音{i}の結合した音節{dzi}。古代語では{di}、現代の標準語音では、「し」の濁音「じ」と同じ。


 つまり、現在の発音においては、「ジ」と「ヂ」の区別はなされておらず、後者は廃れてしまったのだ。だから、ローマ字表記でも、ダヂヅデドは、da、ji、zu、de、do が一般的になっている。ところで、広辞苑によれば、古代は「ディ」と発音していたらしい。遠い昔、「し」と「ち」の濁音は区別されていたのである。

 これを確認するためには、万葉仮名を調べるに限るであろう。ひらがな、カタカナが開発され、流布されるまでは、わが国の文章は、便宜的に漢字の音だけを借りて、当て字で表記していた。

 例えは悪いが、暴走族の落書きと発想は同じである。「万葉集」も「古事記」も原典はそうなっているから、そのままでは研究者以外の現代日本人はもちろん、今も昔も中国人さえ、音読できないし意味も通じない。研究者の意見すら別れることもある。


 ネットには、万葉仮名を紹介したサイトが少なからずある。幾つか見た範囲内では、健児の「児」はすべて「じ」であって、「ぢ」には使われていない。「ぢ」に使われる万葉仮名は「地」や「治」など、本来、「ち」で発音し、かつ濁ることがある字が主である。オッチョの「長治」こそ、「チョウヂ」と書き得るのだ。

 現代日本の戸籍には、氏名にフリガナを記入する欄が無い。漢字表記しか登録されない(もちろん、元々、ひらがなやカタカナの名は別だが)。どう読むかは、親や本人が決める余地がある(年金記録問題を招いた一因であろう)。

 住民票の写しにもない。少なくとも、私の手元にある現住所地のお役所発行のものには、ルビが振られていない。法律や行政に拘束されない以上、ケンヂと書いても構わない(と思う)。


 しかし、普通はそういう風には書かない。「ディ」と発音することはないだろうし、「ぢ」と発音するのは、やってみると決して楽ではないし(舌の先が上あごの裏に付かないといけないのだ)、多分、聞き手にも聞き分けてもらえない。では、なぜ、この作品中の「遠藤健児」は、ひたすら「ケンヂ」なのであろうか。

 結論が出るはずがないので、勝手に私が決める。本人がそう書いたからだろう。何度も出て来る「よげんの書」や関連する巨大ロボットの絵において、彼の署名は、常に「ケンヂ」だし、本来は「レーザーじゅう」と書くのが普通であろうところ、「レザーぢゅう」と書いている。


 ちなみに、単行本「20世紀少年」は、カバーと表紙に、その巻の「あらすじ」が英語で記載されているのだが(もちろん第1巻だけはイントロだが)、ケンヂの名は「Kenji」と表記されており、これなら一般的(まとも)ではあるけれども、本人はこれでは不本意であろう。

 とはいえ該当するローマ字もない。無理して「Kendi」にしても、「ぢ」の発音がない以上、「ケンディ」としか読めまい。一体、それがどうしたと訊かれても困る。



(この稿おわり)


区内の商店街、昭和四十年代の写真。ケンヂの実家の酒屋も、こんな感じの街にあったのだろうか。
(2011年7月8日撮影)









































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